「小谷野敦のカスタマーレビュー」(小谷野敦)

「さて、今年も残りわずかだね!」
「そうねえ…なんか、一年中、コロナに振り回された冴えない年だったね」
「このブログも、8月20日に公開して、4か月ほどになるんだけど、いままでで何冊紹介できたっけ?」
「そうだね。数えてみると、記事にして36本、本の冊数にして、41冊ってとこかな」
「そうかー。当初の目標であった100冊まで、その三分の一くらいまで来たわけだね。まあまあ、いいぺースじゃない?」
「そうだねえ」
「三分の一に到達したのを機に、これからは、取り上げる本について、もっと自由に選んでいくようにしたいんだけど、いいかな?」
「え?どういうこと?」
「今までは、田中英光みたいな、一冊では語り切れなかった場合を除いて、原則一作家一作品で、同じ作家の書いたものは取り上げるのを遠慮してたんだけど、これからは、自由に同じ作家の作品でも、選べるようにしたいんだよね」
「あれ?そうだったの」
「そう、やっぱり個人の好みって、かたよりがちじゃない?読む人にとっても、同じ傾向の作家ばかり見せられても、またかよと思われるかもしれないし、バラエティに富んだ内容にするために、同じ作家の書いた作品は、取り上げてこなかったんだよね。でも、やっぱり、同じ作家の作品分でも、ぜひ紹介したい、と思える作品もあるんでね、これからはそういうのも解禁しようと思って」」
「ふーん」
「これで、あたしの好きな、筒井康隆、小林信彦、島田荘司なんかの別の作品を紹介していけるってもんよ」
「そうかあ」
「とりあえず、年を締めくくる意味もあって、今日は書評の本を紹介したいと思うんだけど」
「うん」
「これはね、隠れた超面白本なんだよ。『小谷野敦のカスタマーレビュー 2002~2012』」
「カスタマーレビュー?」
「そう、アマゾンにあるでしょ?一般の人が商品についてあれこれ評価を自由に書き込むやつ…。これは、比較文学の専門家である小谷野敦が、十年間に書いたそのレビューを集めたものなんだよ」
「へえ」
「まあだいたいあそこに書き込む人ってのは、素人がほとんどだから、そんなに大した知見がごろごろしてるわけでもなし、ホントに参考程度にしかならないんだけど…この人のは違うのよね」
「うん」
「まず、きっちりと本名を名乗って、発言に対して責任をもったうえで論評しているのが、珍しい。レビューしてる他の人はほぼ全員ハンドルネームでしょ?」
「そうだね」
「そして、短文ながら、力をこめて、比較文学者の知識と感性を動員して書かれているのも、珍しい。アマゾンの本関係のレビューで、これほどの知識量と研究の体験の積み重ねをもって書かれたものは他に類をみないよね」
「ふーん」
「そして、なにより、面白いの!レビューって短文だから、いきなりズバッと結論から入るんだよね。だから退屈しない。一冊にまとまると、ある種のアフォリズム集かと思える様な重みと厚みをもって読めるんだよ」
「へえ」
「そうして、概して、現代の日本に澱のように蔓延している、妙に権威的でセンチメンタルな言説に対して批判的で、甘々なムードだけでお手軽に出来ていく小説や映画に対して、容赦ない批判の矢をあびせるのね…。芸術性とか、なんだかわからないけど巨匠の作品だから、名作とされている有名な作品だから、とか、そんなわけのわかったような、わからないような理由で褒めるということは絶対にない。世界的な名声を得ている作品でも、面白くなければ容赦なく切って捨てる。」
「うん」
「これも、古典から現代文学にいたる、膨大な作品群を実際に読み倒した著者ならではの強みだよね。この本を読むことで、あたしにも、自分では読んでない本の、読後感とか中身とか、おぼろげにわかるんだよね。褒めてる本は読んでみたいと思うし、けなしてる本は、なぜそうなのかが寸評的に書かれているから、あー、そうなのかー、読まなくてよかった、時間を無駄にするとこだった…と、安心できるしね。」
「ふーん」
「ホント、この形式の本って、もっと色んな作家や評論家が出しててもいいんじゃないかと思ったもんだけど、なぜか、この小谷野敦しか出してないんだよね。」
「そうなんだ」
「まあ、アマゾンのレビューの場というのが、正当な評論の場として認知されていないというところからじゃないかなとは思うけど…この作者は、そういう場で真剣に論評を繰り広げていく、時代を先取りしたドン・キホーテ的な役割を果たしているんじゃないかと思ったね」
「へえ。それで、どういうことが書いてあるの?」
「たとえば、英文学の古典中の古典、『ベオウルフ』については、こんなふうに書かれてるのね。

(略)昔から大勢の中世英語の研究者がよってたかってやってきた。しかしつまらないものはつまらない。『源氏物語』に比べたら雲泥の差。ホメロスに比べたら文明の程度が違うくらい。(略)各国の英雄叙事詩の中で最もつまらないものである。

「なんか、笑っちゃうね」
「そう、てらわずしてにじみ出てるユーモアも、この作者独自のものなんだよね。他にも、長与善郎の『青銅の基督』について…」

なんでこんな愚作が近代日本の代表的古典のように言われているのか理解に苦しむ。(略)キリシタンの主題が西洋人に好まれて西洋で翻訳されたからに過ぎまい。その辺、遠藤周作と似たようなものだ。

「吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』について…」

これほど有名でありながら、これほど何を言っているのか分からない書物というのも珍しい。(略)読んで得るものはほとんどない。

「石川淳の『紫苑物語』について…」

石川淳は、フランス語、漢文ができてすごいが、それだけで、小説は面白くない。(略)要するに高校生の空想程度のものでしかないということだ。(略)大人の読みものとはとうてい言えない。非リアリズムも結構、泉鏡花くらいになれば見事なものだが、石川淳というのは非リアリズムのダメなほうの例として残るといいかもしれない。

「あたしも、昔、石川淳の『普賢』『狂風記』『六道遊行』『至福千年』を読んだけど、なんか、よく分かんなくて、これは、自分の読解力が足りないせいなのかと思ってたんだけど、こうズバッと言われると、なんとなく腑に落ちるものがあるよね」
「ふーん」
「まあ、今考えると、要するに、大仰な文体による、こけおどし的な何かじゃなかったのかなあって…はっきり断言するのは危険だけど、この書評を読むと、ああ、そういうもんかもな、世の中で誰それが褒めたからって、立派な賞をとってたって、つまらないものはつまらないんだ、そう思っていいんだ、、という小さな勇気を与えてくれるよね」
「そう」
「でも、いっぽう、すでに買って持ってて、まだ読んでいない本を酷評されると、ああ、買って損したかも!と、ガックリした気分になるよね」
「そうなんだ」
「例えば、この本の中で言うと…」

ジーンリース『サルガッソーの広い海』→文学作品としてはまったくの駄作である。
エリアーデ『マイトレイ』→凡作。
渡辺京二「逝きし世の面影』→現代最大の悪書。
野間宏『わが塔はそこに立つ』→記念碑的なつまらなさである
マルケス『百年の孤独』→そんなに名作かねえ。
ケルアック『オン・ザ・ロード』→退屈の一語
ディケンズ『デヴィッド・コパフィールド』→退屈だった。
ディケンズ『大いなる遺産』→つまらないし意味もよくわからない。
ハーディ『テス』→とても今では読むに耐えない。
マードック『海よ、海』→つまらなすぎる。
コンラッド『ロード・ジム』→意味不明なんだが
コンラッド『闇の奥』→意味分からず。

「ひどいもんだね」
「もう、笑っちゃうほど、容赦がないのよね。あと、短評の中に、昔は伏せられていて、今では明らかになった歴史的事実が示され、文学作品を味わうのに、不可欠な知識を与えてくれる面もあるんだよね」
「へえ、たとえば?」
「コクトーの『恐るべき子供たち』について、コクトーは同性愛者で、女への恋は書けないのである、と言ったり、プルースト『失われた時を求めて』も、同じく作者が同性愛であり、登場する女たちが実際には男たちであったために、変になってしまっている、とかね」
「ふーん。それじゃ、作品の読み方がガラッと変わってしまうよね」
「そう、あと、シュリーマン『古代への情熱』は、『現在までの研究で、このシュリーマン自伝は嘘八百であることが明らかになっている、と、とても原著には書けない事も暴露してるんだよね」
「へえ」
「そう、読書の基礎を固めるという上でも、なかなかあなどれない本なんだよ。本だけじゃなく、映画のDVDについても論評されていて…」

是枝裕和『誰も知らない』→こういうふうに撮れば褒められる、というのがみえみえである。
崔洋一『血と骨』→こういう話だろうなあ、と思ってみたら、やっぱりそういう話だったというのはやはりまずいだろう。
イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』→暗きゃ名作って考え方は、まるで往年の自然主義だ。
山崎貴『ALWAYS三丁目の夕日』→何という安っぽく傷だらけのシナリオであろうか。(略)映画作りにおいてはど素人であると言うほかない。

「もうクソミソだね」
「それでも、『ホントにそうなのか?見てみようかな』と思うよりも、『ああ、やっぱりそうだったのか』と納得してしまうところが、現代の映画界の悲しいところだよね」
「『万引き家族』も『パラサイト』もいまいちだったしねー」
「もう、いちいち思いあたる事だらけで、笑ってしまうのよね。いっぽう、褒めてある本は、いかにも読みたくなるように書いてあるんだよね」

子母澤寛『勝海舟』→ヴィクトル・ユゴー級の名作
島尾敏雄『死の棘』→私小説の極北
筒井康隆『ロートレック荘事件』→今まで読んだ中で最高の推理小説
佐江衆一『黄落』→文学の王道
加納作次郎『世の中へ・乳の匂い』→人が生涯に一つだけ書けるような
なかにし礼『兄妹』→直木賞をとらなかった名作
大江健三郎『キルプの軍団』→あまりに素晴らしいので驚いている。
和田芳恵『暗い流れ』→驚くべき名作
近松秋江『黒髪・別れたる妻に送る手紙』→名作です。
ゴーゴリ『死せる魂』→ゴーゴリの最高傑作

「メジャーじゃないものにも、言及されていて、例えば…」

茨木保『まんが医学の歴史』→「まんが何とか」でこんなに面白いのはカゴ直利の大河ドラマもの以来だ。絵もうまいし構成もうまい。
高井有一『立原正秋』→傑作伝記小説
吾妻ひでお『ときめきアリス』→これはいいよ。吾妻本来の美少女とエロとSFの世界。

「映画では」

増村保造『痴人の愛』→原作よりいいね。
加藤彰『F・ヘルス日記』→知られざる名作だなあ
松山善三『名もなく貧しく美しく』→涙滂沱、ただ滂沱である。
黒澤明『素晴らしき日曜日』→涙がとまらなかった。
新藤兼人『第五福竜丸』→日本人全員が、また世界中の人が見るべき映画である。
山本薩夫『にっぽん泥棒物語』→絶対観るべき映画の一つといえよう。

「さらには、アダルトビデオまで、取り上げてるのね」

光夜蝶『若妻の旅』→AV史上の奇跡(略)これは凄い。二十年以上AVを観てきた者として、最高傑作のひとつと確言できる。

「こんな感じで、ひとつひとつの寸評が、ビンビンに頭に響くような異様な面白さで、この本を読み始めると、さまざまな本の世界と、本を中心にして、いま現代社会をとりまいているインチキさを含んだ空気感ってのが、まざまざと頭の中に湧きおこって、読むのを止められなくなっちゃったんだよね」
「へえ」
「あと、それでね、小谷野敦の他の本、特に、文芸評論的な本を何冊か読んでみたんだよね。特定の作家の評伝として書かれた本は、さすがに過激で突拍子もないことは書くわけにいかないから、ごく普通に読んでしまったけど、それ以外の本…特に、文芸論争をテーマにした本は、どれも面白かったよ」
「ふーん。その本もこんな感じなの?」
「まあ、他の本は、さすがにもっとまとまった分量できちんと書かれたものになってるから、この本ほどの衝撃というか、スピード感はなかったけどね…」
「うん」
「『バカのための読書術』、『もてない男』、『「こころ」は本当に名作か』、『芥川賞の偏差値』、『反=文藝評論』、『現代文学論争』、『文学賞の光と影』、『文章読本X』、『純文学とは何か』、『私小説のすすめ』、『評論家入門』、『このミステリーがひどい』、『哲学嫌い』と言った本だね。」
「なんだか、ふざけたタイトルのものもあるね」
「中身は、すごくマジメなんだよ。マジメをこじらせすぎて、かえってユーモラスになっているような感じで…。今あげたどの本も、立派に徹夜本としての資格を備えていると思うな。すっごく面白いんだから」
「ふーん」
「あと、この人は小説も書いていてね…。芥川賞の候補にもなったことがあるらしいよ」
「そうなんだ。そっちのほうは読んだの?」
「うーん、今のところまだそこまで手がまわってないというか…。『非望』と『母子寮前』というのは読んだけどね」
「へえ。どうだったの?」
「うーん、まだよくわからないというか…雰囲気としては、近松秋江から、アクを思いっきり抜き取って、中島義道を一滴たらしたような味わいというかな…」
「なんの例えだか、わからないよ」
「まあ、そっちのほうは、まだ開拓中ということにさせてもらうよ」
「ふーん」
「さっきも言ったけど、いま挙げた本は、どれも、読み始めたら、中毒になるくらいの面白さを持っているから、超おススメだよ。翌日に学校や会社を控えている人は、夜眠れなくなってしまうかもしれないから、気をつけてね!じっさい、この人の本で、あたしも、朝方まで読み耽ってて、あやうく会社に遅刻しそうになったんだから…」
「へえ」
「ちなみにこの著者の、アマゾン上でのレビューは、本になっていないものがまだまだ膨大にあってね…アマゾンのページで検索すれば、見ることが出来るよ。面白いから、是非読むことをおススメするよ」                              「へえ。何を言ってるのか、楽しみだね」
「ということで、今年の記事はこれで終わりね。また来年お会いしましょう!じゃあ、またね!」

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