特別編・いま、hontoに望むこと

「みなさん、おひさしぶりです!」
「ホントに久しぶりだねー。一年以上更新してなかったじゃない?」
「まあ、あたしが、就職しちゃったからね…。時間とれなくなったのが大きいな。それと、このブログ、書くのもいろいろと時間かかって、大変なのよ。一冊の本について書くのに、最低3回は読まないといけないからね。労多くしてなんとやらで…」
「ふーん」
「でも、面白いことに、ブログを毎日せっせと書いていた頃と、休止してからの一年を比べてみても、閲覧数って、そんなに変わっていないのね」
「そうなの」
「まあ、ほそぼそとでも、見てくれている人のおかげかな」
「で、今回は、なんなの?」
「今回は、ブログのサブタイトルにしている、hontoについての、あたしの意見表明というか、提案をしたいと思ってね。これまでやってきてた本の紹介とは趣を変えて、特別編として、お届けしようと思って」
「へえ」
「あたしが今使ってる電子書籍サイトは、hontoと、他にヤフーのebookjapan、角川のbookwalkerがあるんだけど、それぞれ一長一短があって、たとえばhontoは、ここをこうすれば、もっと利用者が増えるんじゃないかなあと思うところが、多々あったんだよね」
「そう」
「じゃあ、まず手近なプラットフォームのデザインから触れていくね」

・トップページに、「もっと売らんかな」の姿勢を!

「どこの電子書籍サイトを見ても、トップページには、無料マンガやら割引セールやらの広告がドーン!と、出てくるんだよね。これが、すごく目を引くんだよ。ところがhontoは…」
「なんなの?」
「あなたにオススメのブックツリー、という、割引とは全く関係ない、本の紹介ページと、『電子書籍と紙の本は、敵ではなく、仲間です」という、無難なキャッチフレーズが並ぶだけなんだよね」
「ふーん」
「もちろん、他社でやってるセールは、hontoでも、同じようにやっているんだけど、その表示にたどり着くには、数段階クリックして表示させなければならないんだよね。この、ちょっとした、手間が、一見さんの慣れていないユーザーには、高い敷居になってるんじゃないかな、と、思うんだよね。もしかしたら、トップページだけ見て『なんだ、hontoは、セールや割引やってないのか、じゃあ、使うのやめとこ』と思われかねない、と、心配なんだよね」
「へえ」
「ホントでも他社でも、割引は、出版社ごとに、大体似たようなシステムになってるから、さぐっていけば、差はないんだけどね。たとえば、hontoのクーポンにたどり着くには、右上のマイページのそばに小さい文字で示してある、『クーポン』ってのをクリックしないと、出てこないんだよね。あと、各出版社の割引フェアにたどり着くには、その、出てきたクーポンの、下のほうに、小さく、ちいーっさく表示されてる、『おすすめ特集』ってのを、押さないと、たどりつけない。」
「うん」
「まあ、hontoの、『電子書籍ストア』『本の通販ストア』『店舗情報』とあるなかの、『電子書籍ストア』をクリックしても『おすすめ特集』は、出てくるんだけど…そこに、角川や講談社をはじめとする出版社の期間限定割引フェアなんかの情報はあるんだけど…それも、ものすごく小っちゃいアイコンなんだよ。広告する気あるの?って、疑っちゃうくらい」
「ふーん」
「まあ、うがった見方をすれば、hontoは他の電子書籍サイトと違って、紙の本のほうも扱ってて、書店ともつながりがあるから、一方的に電子書籍のセールを大々的に行うわけにはいかないのかな、という裏事情もあったりなかったりするのかな、という見方も出来るんだけど…これじゃ、みすみす客を取り逃がしてるようなもんだと思うんだよね。だいたいが、トップページから、『電子書籍サイト』に飛ばなきゃ出てこない、って時点で、そのワンクリック分、読者に余計な負担と、もしかしたらそこを見逃されてしまうかもしれない可能性があると思うんだよね。ここで、hontoは、そうとう、損をしてると思うな」
「うん。で、提案としては、どうするの?」
「まず、セールの表示を、うんと派手に、トップページにドーンと、持ってくることだね。他の電子書籍サイトに負けないくらい…。なんと言っても、サイトの顔だからね。数回ページを開いてもぐりこまなきゃセールの概要にたどりつけないなんてことはやめること。各出版社がセールの目玉として押し出している無料本や割引について、これでもかというくらい、アピールすることだね」
「そうすると、下品にならない?」
「ならないって。デザイン性のよさは保ちつつ、十分に可能だと思う。そこは、いまのお上品なデザインを作っているクルーの腕のみせどころだね」
「ふーん」
「あたしなんか、無料本を探すとき、いつも、『期間限定無料』ってワードで検索しているんだよ。そうすると、出てくる、出てくる。他社のサイトでは有料で扱ってる本まで、無料で出てくることもある。無料本には、二通りあって、期間限定配信でしか見られない奴と、一度買うと、ずっと自分のものに出来るものと。これは出版社や本によって、色んなパターンがあるけど、たとえば、講談社のマンガなんかは、ずっと持っておけるパターンが多くて、お得だね」

・ブックキュレーターのパワーアップを!

「hontoのトップページに来てるブックキュレーターの推す5冊、っていう記事があるんだけど、これが、なかなか面白くて、時々参考にしてるのね。各界の著名人が、面白いと思った本を推薦するコーナーで、なかには島田荘司、今村翔吾、国際的なものでは、中国の推理作家、陳浩基、陸秋差なんかもいて、『この人が薦めるんなら、読んでみようかな…』と、思わせるような面々が並んでいるんだよね。」
「うん」
「ただ、トップページに、その名前が表示されないから、おススメで出てきている本の表紙をクリックしないと、誰が薦めているのか、他にはどんな本を押しているのか、が、出てこないんだよね。さらにページを掘り下げて、『ブックキュレーター一覧』ってとこに行かないと、誰が参加しているのかもわからないし。」
「ふーん」
「それと、本を薦めるのはいいんだけど、紹介する文章が、文字数の制限でもあるのか、ほんのちょっとしか、ないんだよね。せめて、どこがどういう風に面白いのか、もっと長文で、出来れば出版社の許諾を得て、本の文章の引用(マンガの場合は画像の引用)もちりばめて、紹介文を読んでる人に、『気になる!これは買わなきゃ!』と、思わせるようなものにできればいいと思うんだけどね」
「本文を引用なんて、このブログみたいじゃない」
「そう、あたしがいままでやってきたような引用による本の紹介を、今度は、出版社の許諾を得て、著作権をクリアにしたうえで、目立つように大々的に行えばいいと思うんだよね。まるで、映画の予告編のようにね」
「ふーん」
「これは、効果あると思うな。今までどこも、そこまで踏み込んだものはやってないからね。アマゾンやら他の電子書籍サイトにしたって、試し読みできる部分は、冒頭のみ、って、限られてるし、この本が本当に面白くなるのは、ここがミソ!って部分を、効果的に演出して、チラ見せしていくことが出来れば、本の売り上げに大いに貢献すると思うなあ」

・YouTubeの最大活用を!

「これは、今でも不思議なんだけど、YouTubeを広告の手段として有効活用している出版社って、あたしの知る限りでは、ほとんどないんだよね。講談社や集英社が、マンガでほそぼそやってるくらいで。文字の本については、個人のインフルエンサーである『文学少女ベル』って人が、自分の選んだ本を定期的に紹介している例があるくらいで…」
「うん」
「ここで、出版社と協議のうえで、本の読みどころ、どういう具合に読者を引っ張っていくか、購買意欲を掻き立てるか、という場を作ったら、それはもう、効果的だと思うんだけど」
「ふーん」
「hontoを運営してる会社は、実は今はやりのVtuberも、すでに持っているんだよね。『ファンズちゃん』っていう…。ところが、全然生かしきれてない。ほとんど休眠状態なんだよね」
「それを使えばいいってこと?」
「そう、今、Vtuber業界って、勢いすごいじゃない?企業から自治体まで、花盛りってな状態よ。人気のあるVtuberは、絶好の本の紹介インフルエンサーになると思うな」
「うーん」
「実は、ツイッターなんかでも、本の紹介は、好んで取り上げられる話材なんだよね。例えばこのブログの、『真夜中のデッド・リミット』なんかは、扶桑社編集部にリツイートされて、拡散した、という過去事例もあるんだから」
「そうなんだ」
「それと同じようなことを、YouTubeでVtuberを使ってやれば…効果は絶大だと思うんだよね。たとえば、面白いマンガを探している人は、必ずこのVtuberを登録して、常にアンテナをはりめぐらす、みたいな状況を作れれば、最高だね」
「そうねえ」
「ただ、注意しなくちゃならないのは、Vtuberって、生モノだからね。無批判に広告を垂れ流すだけの人は、見透かされて見向きもされないし、キャラ自体が楽しいとかいじりやすいとか、個性ってもんがないと、今のVtuber乱立の世の中を生き残れないよね」
「まあ、そうだろうねえ」
「要するに、本を選ぶにも、紹介の仕方、演出にも、目を引く個性というか、作家性が要求されるわけだよね」
「うーん」
「でもこれが実現できれば、YouTubeの視聴者にとっても、出版社にとっても作者、読者にとっても、とっても魅力的で有用な場になると思うんだよね」
「本の選定というか、ライターは大変になるような気がするけどね」
「もしhontoが本気になってこの企画を考え始めるなら、あたしも、およばずながら、拡散に応援しようと思ってるよ」
「まあ、そう、うまくいくかどうか、だけどね」
「できたら、このブログを目にとめたhontoの方がいたら、是非考えてもらえないかなあ…」

(おまけ)「できたら、ebookjapanみたいに、本の背表紙表示の並びも出来るようにしてもらったら、嬉しいな。何せ、買った本の数が多くなると、本棚を見る感覚で背表紙で見られるほうが、いろいろと便利なので…まあ、これは、システムの大幅な作り変えが必要になるから、あくまで個人的に、お願いする、ということだけどね」

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(米原万里)

「今日は、米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を紹介するよ!」
「へえ、変ったタイトルだね。米原万里って、どういう人なの?」
「まあ、ロシア語の通訳だった人だね。そのうち、エッセイも書くようになって、その余りの面白さに、ものすごく話題になった人なんだよ」
「ふーん」
「ソビエト連邦が崩壊して、ロシア共和国になり、その大統領であるエリツィンの通訳として活躍した人でもあるね…。エッセイストとして活躍しはじめてからは、TVにも出たり、週刊文春に連載を持ったりして、大活躍の人だったんだよ」
「へえ」
「若い頃の写真を見ると、日本人離れした超美人で、橋本龍太郎に言い寄られた事もあったそうだよ。ただ、残念なことに、ガンで若くして亡くなっちゃったんだけどね…」
「うん」
「その彼女が残した本のなかでも、今日とりあげるこの本と、もう一冊、ものすごく面白い本があってね。今日は、そのうちの一冊、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を紹介するね」
「うん」
「これは、彼女が小さい頃、小学校三年生の時、父親の赴任先であるチェコスロバキアのプラハに引っ越して、現地のソビエト学校に通っていたころの、友達3人について書かれた本なのね」
「ふーん。かなり変わった経歴だね。ソビエト学校って、何なの?」
「それはね、現地語であるチェコ語ではなく、当時、共産主義の君主国であったソビエトの言語、ロシア語で授業を行う、まあ、チェコ内での一種の外国語学校だったわけね」
「そうなんだ」
「当時チェコは、東側に属していて、宗主国であるソビエトの庇護下にあったわけよね。米原万里の父親も、日本共産党の幹部職員として、現地にある機関紙の編集にあたっていたわけよ」
「ふーん」
「そこで出会った3人の友だちについて、その思い出と、数十年ぶりでの再会が描かれているわけなんだけど…これがもう、ものすごく面白いの!」
「へえ」
「その3人というのは、、リッツア、アーニャ、ヤスミンカと言うんだけど…まずギリシャ人のリッツアの話から始まるのね」

ただでもらった馬の歯を見るものではない―「贈物にケチをつけるな」という意味のヨーロッパ各地に伝わる諺である。
(略)馬を品さだめするときの決め手が歯であるという生活の知恵のほうに関心してしまう。
(略)そして必ずリッツァのことを思い出す。

「リッツァの両親は、軍事政権による弾圧を逃れ、亡命してきた共産主義者だったのね。リッツァは、生まれてこの方、祖国であるギリシアの土を踏んだことがない。それなのに―」

(略)まだ一度も仰ぎ見たこともないはずのギリシャの空のことを、
「それは抜けるように青いのよ」
(略)ウットリと目を細めるのであった。
(略)「マリ、男の善し悪しの見極め方、教えたげる。歯よ、歯。色、艶、並び具合で見分けりゃ間違いないってこと」

「リッツアは、勉強は出来なかったけど、性に関しては、クラスの中でも恐ろしく詳しい権威者だった。それは、彼女の兄のミーチェスがものすごい美男子で、女性にモテモテであったことから、彼女の性に対する情報源は、このミーチェスによるものと思われた。そしてさらに、ミーチェスをしのぐ美男子が彼女の叔父にいるらしい」
「うん」
「そして、リッツアの母親も、すごい美人だった」

「若い頃は、さぞ大変だっただろうね」
「うん。競争率高かったみたい。パパは一目惚れで、一年間しつこく付きまとったんだって」
リッツアの父は、工科大学三年の時に、ドイツ軍に占領されたアテネを抜け出し、山岳地帯のゴルゴピ村にあった左派の拠点に赴いて反戦反ナチスの運動に身を投じる。村の井戸に水くみにきた当時十八歳の母に出会って、激しい恋に落ちたというのだ。
「ママは嫌で仕方なかったんだって。ママが嫌だったのはね、パパが醜いからじゃないの。政治に絡むのが嫌だったんだ」
「じゃあ、リッツアのママはコミュニストじゃあないの?」
「絶対に、死んでもならないって言ってる。(略)ママの家は、共産ゲリラのたまり場だった。ママには、ママよりもさらに綺麗な姉さんがいてね、村一番の美女だった。ママの家に集まるゲリラの男たちは、みな競って姉さんを自分のものにしたがった。ところが、姉さんは、敵対する王党派の男と恋に落ちてね。両親とゲリラの連中が何度も何度も別れろと説得したのに、姉さんは耳を貸さない。そしたら、どうなったと思う?ある夜、姉さんが家に帰ってこなかった。翌朝、家の前の栗の木に、吊るし首になった姉さんの身体がぶら下がっていた。さんざん慰み者にされた上でね」
「誰がそんな惨いことを」
「あれは、共産ゲリラの仕業だろうってママは言うの。嫉妬がらみの。(略)」

「戦乱に明け暮れたヨーロッパの中に生きる家族たちには、みなそれぞれの辛い歴史があったわけよね」
「うん」
「そして、万里の父の任期が終わり、一家は日本へ帰国することになった。帰国後、リッツァとは、文通でやりとりがあったが、それも途絶えがちになっていった…」
「うん」
「そんなある年、プラハに大事件が起こる。チェコの改革派が起こした自由革命に対し、ワルシャワ条約機構軍が戦車でプラハを蹂躙する…。その事件後、プラハ・ソビエト学校は閉鎖される」
「うん」
「そして、80年代後半、東欧の共産党政権が軒並み倒れ、ソ連崩壊へとつながっていく…。著者は、かつての友人たちがこの激動の時代をどう生きていったのか、無事でいるのだろうか、と、矢も楯もたまらず、昔学校のあったプラハへ飛ぶんだよね」
「うん」
「しかし、学校はすでに閉鎖され、卒業者名簿もないと言われる。あんなに祖国ギリシャに憧れていたリッツァ、今はギリシャにいるのだろうか…」
「うん」
「著者は、プラハにあるギリシャ人コロニーの学校へ、わずかな手がかりでもないかと足を運ぶ…」

どこからともなくピアノを弾く音が聞こえてくる。
「ああ、リッツァが、歌っていた歌のメロディーだ!」

「しかし、そこの責任者も、リッツアの消息はわからないという。あきらめかけた時…。」

その場をひきあげようとするところで、腕をつかまれた。
「ごめんなさい、リッツァ・パパドプロスを探しておられるっておっしゃいましたよねえ」
声の主は、目鼻立ちのくっきりした大柄な女性だった。
(略)「リッツァをご存じなんですか?」
「カレル大学で寮が同じだった同国人に、リッツァ・パパドプロスという子がいましたよ」

「著者は、藁をもすがる思いで、大学に赴いて、卒業者名簿を調べ始める…。リッツァの名前はないが、ソリティア・パパドプロスという名にぶつかる。これがリッツァなのだろうか?」
「うん」
「さらに、ギリシャ人コロニーで、事情通として紹介されたエバンゲロスという居酒屋経営の男に聞いてみると…」

「(略)突然ですみません。三〇年前に別れた、女友達を探しているんです」
「名前は?」
「リッツァ。リッツァ・パパドプロス。兄さんの名は、ミーチェスでした」
「僕の姪だ」
「……」
「ソリティアは、姉の娘だし、ドミトリウスは、息子だ」
その瞬間、記憶の回路が繋がって、思わず叫んでいた。
「そう言えば、リッツァのママにそっくり!」
(略)「ああ、リッツァは、ソリティアの愛称で、ミーチェスはドミトリウスの愛称だ」

「リッツァの一族は、父親が、ソ連のプラハへの軍事侵攻を批判した事が理由で、失職し、没落の一途をたどっていたのね。そして、リッツァは、現在、ギリシャでなく、ドイツのフランクフルトで、移民相手の医者をしている…。電話番号を聞き出し、懐かしいリッツァとの再会にこぎつけるのだった…」
「ふーん」
「そして、万里は、リッツァの父親が失職してからの、過酷な一家の生活について打ち明けられる…。父親は死に、また、美男であったミーチェスの悲惨な運命も。そして、あれほど性についてあけっぴろげであったと思えたリッツァ自身も、本当はすごく臆病で、今の亭主に会うまで何の経験もなかったことなど…」

「ねえ、リッツァ、質問していい?リッツァは、なぜ、ギリシャへ帰らなかったの。(略)いつもギリシャの青い空のこと自慢してたから、てっきりもうギリシャに住んでいるものと思ってた」」
「(略)夢にまで見たギリシャの青空はほんとうに素晴らしかった。(略)でもね、マリ、(略)素晴らしかったのは、青空だけだったのよ。いちばん、我慢できなかったのは、ギリシャでは、女を人間扱いしてくれないこと。それに(略)犬猫など動物に対する嗜虐性にはついていけなかった。(略)」

「それでも、リッツァの住まいに案内され、旦那さんや子供に挨拶し、ふとTVを見ると、ギリシャ語が流れている」

「うん、家でも、診療所でも、ほとんどギリシャのチャンネルしかつけてないんだ」
「でも、よく電波が届くわねえ」
「バルコニーに出てご覧」
(略)アンテナの凹部は、ギリシャの空の方に向かっていた。リッツァがあこがれ続けたギリシャの空の方角に。

「ね、すがすがしくも、どこか懐かしい、おとぎ話のような話でしょ?」
「うん。面白いね」
「そして、ヨーロッパの、共産主義体制の崩壊という大事件に巻き込まれた歴史の重みってのも感じるよね。その中を、かつての知り合いを訪ねてさまよい歩く主人公は、さながら歴史と追憶を旅する冒険者って感じね」
「そうだね」
「今紹介したのは、この本の中に収められた三編のエピソードのうち、冒頭に置かれている『リッツァの夢見た青空』って話なんだけど…このほかにも二編あるんだよね」
「ふーん」
「二編目の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、こんなふうに始まるんだよね」

「ハハハハ、ザハレイドウが走っとるわ、走っとる」
スクール・バスの運転手さんは、アーニャのザハレスクという苗字をなぜかザハレイドウと妙ちくりんに語尾変化させて呼ぶ。
(略)アーニャがバスに追いつこうと懸命に走る姿が目に入ってくることがよくあった。今日もそうだ。
「ハハハハ、よくもまあ、ああ不格好に走るもんだ。(略)」

「アーニャは、人の名を呼ぶとき、いちいち『同志』と頭にくっつける、「信念」を持っていた。それが、ナチス・ドイツを駆逐するどさくさに、無理やりソ連の衛星国にされてしまったチェコ人に、顰蹙を買う事も構わずに。それが正しい呼び名だと信じて疑わないのだった」
「ふーん」
「でも、心根はとてもやさしく素直で、話も面白く、一緒にいて楽しい仲間として、誰からも、愛されていた。そして、アーニャには、もうひとつ、奇妙なクセがあった。」

(略)アーニャがことあるごとに嘘をつくことに私もクラスメートたちも気付き始めた。癖というか、ほとんど病気のようなものだった。
(略)「不思議だよねえ、なんでああも次々と嘘をつくのか」
(略)「そうなんだよねえ。アーニャって、まるで呼吸するみたいに自然に嘘つくんだよねえ」
(略)嘘つきアーニャは、どうしようもない嘘つきであることも含めて私たちに愛されていた。

「チェコのソビエト学校は、各国の共産党幹部の子弟の通う学校で、各人の出身地に対する愛情は強烈なものがあった。また、それは、小国であればあるほど度合いの強いものに思われた。アーニャの出身は、小国・ルーマニア。アーニャも熱烈な愛国者だった。そして、ある日父親の転勤と共に、故国・ルーマニアに帰ることになった…」
「うん」
「それから月日は流れ、1989年のある日、ルーマニアに歴史的大事件が起こる。市民の蜂起により、チャウシェスク政権が倒れ、チャウシェスク大統領が処刑されるという事態が起ったのだった。幹部クラスとして暮らしていたはずのアーニャ一家はどうなってしまったのか?手紙を出しても、返事は来ない。著者は、ルーマニアのブカレストへ旅立つ…」

かつて東欧のパリと讃えられた街に、その面影はなかった。荒れ果てた町の風景に、何よりも人々のすさんだ表情と、何かに怯えるような落ち着きのない瞳に衝撃を受けた。
(略)壊された建物の瓦礫はいまだに片付けられないままだし、崩れかかった古い建物、建設途上でおっぽり出された巨大な鉄筋コンクリートの建造物が立ち並ぶ。目に付いたのは、大量の野良犬だった。

「そして著者は、アーニャの家族に会い、輝かしかった共産主義国家の、片隅で暮らしていた人たちの、悲惨な末路をまざまざと目にする…。その果てにいよいよ…」

(略)駆け上がってくる女の姿が目に飛び込んできた。
「ハハハハ、ザハレイドウが走っとるわ。よくもまあ、ああ不格好に走るもんだ(略)」
スクール・バスの運転手(略)の声に続いて、はやし立てる悪ガキたちの歓声が聞こえてきそうだった。

「ここのところ、何べん読んでも、感動しちゃうね」
「ヨーロッパの共産主義国って、大変なところだったんだねえ」
「最後の話は、もっと大変なんだよ。『白い都のヤスミンカ』っていうんだけど…」
「うん」
「冒頭、学校の授業で、自国の歴史についての発表をとうとうと行うはかなげな美少女、ヤスミンカの描写から始まるのね。ヤスミンカの母国は、ユーゴスラビアだった。古代より、ローマ人をはじめ、スラブ人、マジャール人、トルコ人の係争の地となってきたのが、ベオグラード市…トルコの言葉で、『白い都』と呼ばれる都市だった。しかし、城砦が白い色をしていたという痕跡はない。ではなぜ、トルコ人は、白い都と名付けたのか?と、ヤスミンカは、教室中を落ち着いて眺めまわして、」

「それは、初めてこの都市を訪れたとき、たしかに砦が白く見えたからなんです」
ヤスミンカはまだ転校してきて一週間も経っていないというのに、この理路整然とよどみなく流れる正確無比なロシア語はどこから来るのだ。
(略)「河面からは乳白色の靄が立ち上がっていたのです。白い靄に包まれた都市は、折から差し込んできた陽の光を受けてキラキラと輝いていました。(略)あまりの美しさに、トルコの将兵は戦意を喪失し、その日の襲撃は中止になった、と。(略)」
その日以降、ヤスミンカは、クラスで一目も二目も置かれる存在になった。

「だけど、ヤスミンカは、孤独な心を抱えていた。祖国・ユーゴスラビアが、チトー大統領のもと、社会主義から乖離している裏切り者だとみなされていたからだった…。それで、同じく、冷遇されている日本共産党の立場にいる万里と、友達になろうとする…」

「ねえ、帰りにうちへ寄らない?」
(略)「ありがとう。すごく嬉しい。私も初めてヤースナが暮らすにやって来た日から、ずっと惹かれていたから。でも、近寄り難くてためらっていたら、ヤースナの方から声をかけてくれたでしょう。言葉にならないほど嬉しかったんだよ」
「マリには、私と同じ種類の孤独を嗅ぎつけたの」
いきなりこちらの心臓を鷲掴みにされて面喰った。やっとのことで聞き返した。
「孤独?」
「そう。どうしようもない孤立感」
(略)「学校通うの辛くない?」
「分かる?」
ヤースナは私から目をそらせるように横を向き、声を出さずにうなずいた。ヤースナも学校に通うのが辛いのだ。

「マリは、ヤスミンカの家に招かれ、彼女の父親のパルチザン時代の話を聞く。少年時代、嫌っていた老教師が、子供たちを守るために、身代わりとしてドイツ軍の犠牲になった話…」
「うん」
「そして、マリは、ヤスミンカは、北斎の絵が好きだということを聞いて、絵葉書を見せるため、自宅に誘う。嬉しがり、飛び跳ねてきたヤスミンカだったが、マリの家の前で、立ち止ってしまう。」
「うん」
「まるで、下心があったようで、悪い、と言うのね。それに対し、マリは、自分こそ、つまらない動機で近づいたのだ,と告白する」

私はヤースナに、親たちの属する党の立場が対立しているみたいだけど、私はそんなことに縛られない人間関係を作れるんだと自分と周囲とに示したかったのだということをひどくまとまりなく話した。話しながら十月革命広場の街灯がすでに点っているのに気付いた。街灯の光が風景ににじむように広がっていく。。
「泣かないでよ、マリ。私も悲しくなっちゃう」
ヤースナが肩を抱いて頬をよせてくる。
「いつまで続くんだろうね、この仲違い。でも、マリとはずっと友達でいようね」」
そういうヤースナの頬も濡れている。それに促されてさらに涙が溢れてくる。でも、今度は嬉し涙も混じっている。
(略)この日からヤースナは、私にとって無二の友となった。

「そして、プラハで過ごした最後の一年間は、どこへ行くにもヤースナと喜びや驚きを分かち合うようになったんだよね。マリが日本に帰るとき、クラスのみんなが思い出帖を回覧して書いてくれたんだけど、ヤスミンカは、そこに絵と短い文をい書いたのね」

(略)「愛しいマリ」という呼びかけで始まる文章には、「マリには別な友達ができる」「私のことを忘れる」と読みとれる箇所があって気になった。

「そしてついに、ヤスミンカからピタリと手紙が来なくなってしまう。リッツァによると、ソビエトから転任してきた校長に、授業中、名指しで、ユーゴスラビアの社会主義をねちねちと陰湿に批判され、ついに衝突してしまい、退学したという」
「へえ」
「すっかり消息不明になってしまったヤスミンカ…マリは、いつしか彼女のことを思い出の中に閉じ込めてしまっていた」
「うん」
「しかし、1991年、とんでもない事態が勃発した。ボスニアヘルツェゴビナ戦争。クロアチア人とセルビア人による、民族浄化とも言える身の毛もよだつ果てしもない殺し合いの戦闘が始まった」
「うん」
「強制収容所、集団レイプ、NATO軍による空爆…凄惨なニュースが矢継ぎ早に飛びこんで来る。マリは、ヤースナの安否を確認するため、思い出帖に書かれた、ベオグラードのヤースナの住所を訪ねる」
「うん」
「そこはアパートだった。古くから住んでいるという夫人にきくと、ヤースナの一家は二十年前くらいに引っ越したという」

「それで、その後一家はどこへ?」
「たしか、サラエボへ移住されたはずですよ」
(略)嘘だ。嘘であって欲しい。ボスニアのサラエボなんて、今最大の激戦地ではないか。

「マリは、ガイドの青年が必死で止めるにもかかわらず、友人のためにまさに血で血を洗う激戦地へ向かおうとする…と、このヤスミンカの話の続きは、要約するにはもったいなさすぎるから、本で読んでね」
「ええー」
「ホントに感動もんなんだよ。最後の最後、はるか昔の『白い都』が、その姿を現すラストまで…。こういう本は、人が一生に一度書けるかどうかみたいな素晴らしさだよね」
「ふーん」
「といった矢先で悪いんだけど、米原万里には、もう一冊、素晴らしい本があるんだよね。それも、機会があったら、紹介できると思う。時間はかかるかも知れないけどね。じゃあ、またね!」

「野望 信濃戦雲録第一部」(井沢元彦)

「今回は、井沢元彦の『野望』を取り上げるよ!」
「ずいぶんぶ厚い文庫本だね。しかも上下巻に分かれてるし」
「そう、合計すると、1500ページくらいあるかな」
「えー、なんか、読むのかったるそう」
「そんなことないって。作者が作者だからね」
「井沢元彦…確か、前に取り上げた『猿丸幻視行』を書いた人だね」
「そう、最近は、歴史に関するエッセイ集を数多く出してるけど、初期は、推理小説や、この本のような時代小説も書いていたんだよ。そして、それが、めっぽう面白いの!」
「へえ」
「最近出してる歴史の本は、あくまで史実を書いているから、そんな突拍子もないものは書けないけど、小説となると、話は違うのよね。胸のすくような英雄檀、超破天荒な謀略談、もう、娯楽ものに徹した奇々怪々のストーリーが書けるわけだね」
「ふーん」
「そして、何といっても、この人の書く時代小説は、どれも超ド級の面白さなの!図抜けてるのよね。ある意味昔の剣豪小説に近い、カラッとした明朗さと、スピード感あるストーリー展開が、読者の心をわしづかみにして、離さないわけだよね」
「うん」
「そして、この作品では、もう、数ページごとに、曽呂利新左衛門ばりの謎かけや、あっと驚くような種明かしが交互に表れてくるんだよ。もう、パズル小説を読む快感ってものを、限りなく、ふんだんに味わわせてくれる、井沢流時代小説の頂点とも言える作品だね!」
「へえ、それは、どんなものなの?」
「まず、戦国の世、天文11年の、信濃の国、諏訪郡の、お姫様の話から始まるのね。諏訪神社を擁するこの国の、高貴さと美貌を兼ねそなえた、天女のような美沙姫は、その優美さから、領民のあつい信仰心の象徴となっていた…。姫は、その年も、諏訪湖の氷のひび割れを見聞し、運勢を占う御神渡りという吉凶占いの儀式に臨んでいた。姫を崇拝する、近習の望月誠之助と共に。しかし、神官の告げた予言は、「凶」であった…。」
「うん」
「誰もが考えもしなかった結果だった。諏訪家は、この所平和な日々を過ごしており、隣国の武田家とも、婚儀で結ばれてる間柄だったから。」
「うん」
「その頃、その、まだ甲斐の国の、わずか15万石の領主にすぎなかった武田晴信(のちの信玄)のもとを、山本勘助という片目で片足がびっこを引いた老武者が訪れた…ここから、全てが始まるのね」

「勘助、その方、何ができるのだ」(略)
「軍師でござる」
(略)「軍師とはよう言うた。だが、勘助、天か六十余集に大名土豪数あれど、軍師など置く家は一つもないはず」
(略)「武田家が本邦初の軍師役を置かれませい(略)武田家をどのような身代に育て上げるおつもりか」
「知れたこと、近隣諸国を武田の旗の下にひれ伏せさせ、天下有数の大名にするのよ」
「あっははは(略)望みがあまりにも小そうござる。」(略)
晴信は満面に朱を注いだ。(略)
「さればそちの存念を申してみよ」
「天下を取り、武田幕府を開く、殿には将軍になって頂く。これでござるな」(略)
あまりのことに晴信は一瞬言葉を失った。天下を取るなど、月へ行くこと以上に現実感のないことである。(略)
「そのようにお疑いなら、勘助が天下取りの計略をお聞かせ致そうか」
「おう、言うてみい」
勘助は姿勢を正して、
「(略)まず信濃を併呑することでござる。(略)信濃と甲斐、この二国を併せ持ち、力を蓄えつつ美濃から尾張へ進出いたす。海道へ出てしまえば、後は京へ一筋道、殿は源氏の嫡流でござるゆえ将軍宣下をお受けになるのに何の障害もござらぬ」
「―たかだか十五万石の当家が、まことに天下の主となれると思っているのか」
晴信は冷ややかに浴びせた。
「はて十五万石とは面用な。甲斐の草高は二十二万石はござろう」
勘助はにやにや笑いながら言った。
(この男、単なる法螺吹きではない)
晴信はその一言で勘助を見直した。(略)勘助の言う通り二十二万石なのだ。いわば現実の確かな認識が戦略の基礎にある。

「武田家が信濃を攻めあぐねているのは、そこには諏訪家という、諏訪神社の神官を兼ねる一族が居ることによるものだった。うかつに手を出せは、「神敵」となり、領民全体の組織的反抗に会うおそれがあるからだった」

晴信はまさかと思いながらも、聞かずにはいられなかった。諏訪氏を滅ぼし、しかも諏訪の民の反抗は受けないで済む、そんなうまい方法があればとうに実行している。

「勘助は、今の諏訪家当主の妻が、晴信の妹であることに目をつけ、」

「生まれる和子は、(略)武田の血を引く者、その御方を諏訪の跡取りとなされませ」
(略)(こやつ、一体何を考えているのか)
(略)多弁だった勘助が、急に口を閉ざした。言うべきは言った。後は自分で悟れというのだろう。
(小面憎い奴)
これまで晴信は自分より知恵のある男を見たことがない。(略)
その時突然、晴信は勘助の言わんとするところに気付いた。それは晴信の心胆を寒からしめるほどの、冷酷無惨な策略だった。
「勘助、そちは希代の大悪じゃな」

「勘助の言わんとするところは、こうだった。子が生まれれば、父親である当主の諏訪頼重を滅ぼし、武田がその子供を当主に祭り上げ、実質的な支配者となる…しかし、この策には、問題があった」

「勘助ー」
「どのような名目で兵を挙げるか、でござるな」
(略)なんといっても妹婿を、それも和平の約束を踏みにじって討つのだ。何か大義名分がなければ。
「高遠殿によしみを通ぜられませ」(略)
晴信は舌を巻いた。この男どこまで悪知恵がはたらくのか」

「高遠頼継は、諏訪家の傍流、その男に本家の座を用意してやると持ち掛け、反乱を起こす。あくまで諏訪家の内紛と言う形で。武田家は、当主の命を奪い、その息子を傀儡の諏訪の領主とする…。」
「うん」
「しかし、疑り深い高遠に寝返りを決意させるには、相当の知略が必要だった。山本勘助は、供の若侍と共に、単身で高遠の屋敷へ乗り込む。ここで、うまく誘いに乗せなければ、命が危ない、という、一種の賭けだった」
「うん」
「それを、勘助は、あっと驚くような弁舌と策略の冴えで、交渉をなしとげるんだよね。そして、諏訪の城攻めに当たっても…」

「殿、拙者にお任せくだされば、その城、百の手勢で落としてご覧に入れまする」
(略)「だが、百人で城が落とせるのか」
「百人だからこそ落とせるのでございます。そればかりではございません。禰々様(信玄の妹)も寅王様(その息子)もお救いいたし、諏訪衆の恨みを残さぬように頼重様のお命を頂戴致します」
「ははは、そのようなことができれば誰も苦労はせぬわ」
晴信は笑ったが、勘助はあくまでも生真面目な態度を崩さない。(略)
「恨みを買わぬための策はござる」
「ほう、あるなら申してみよ」
「頼重様を二度殺すのでござる」
(略)敵は一千、しかも籠城しているのである。

「そして…」

(まるで魔法のようだ)
(略)まさに一兵も損することなく、百の手勢で一千の守兵を駆逐し、上原城は陥落したのである。

「勘助は、見事にやってのけたのね」
「どうやって?」
「それは、本を読んでのお楽しみね。二度殺す、の意味も、その時明らかにされる。まさに鬼人をもあざむくような奸計によって、勘助はそれをなしとげるわけよ」
「またあ」
「そして、用済みになった頼継をも、わざと空き家同然にしておいた城に攻め込まさせ、不意をついて討伐する…こうして、武田家の信濃攻略の権謀術数にいろどられた、華麗なる進撃が始まるわけね」
「うん」
「いっぽう、乗っ取られた諏訪家の姫は、信玄に捕らえられ、側女の地位に落とされ、近習であった望月誠之助は、脱走して、諸国を放浪して、信玄と戦う大名に転々と奉公し、打倒信玄に人生を賭けるのね。このせめぎあいが、お話の大きな、流れになっていくわけよ」
「ふーん」
「でも何といっても圧巻なのは、山本勘助の謀略の鮮やかさ、そして、その種明かしのアッと驚くような用意周到さ、それがこの長編のほぼ全部を占めているんだよね。まるで、シャーロックホームズの謎ときみたいにね。もう、数ページごとに、うーん、と、うならされるような名場面、の連続なんだよ」
「へえ」
「そして、それに対抗する武将たちの中にも知恵者がいて、さまざまな策略を掛けてくる…。知恵と知恵、謀略と謀略のぶつかりあいね。同じ信濃の村上義清は…」

(雪こそ、大きな武器になる)
義清は確信していた。
(略)「わしが真田(信玄の家来)を成敗するという噂を広めよ。(略)晴信は、雪が怖くて出てこれまい。―わしがそのように豪語していたと伝えてやるのだ」
(略)「殿、わざわざこちらから攻めるのを知らせてやるのでございますか」(略)
「そうだ。晴信をおびき出す手だ」
「かかりましょうか」
(略)「人間得意の絶頂の時には、簡単に騙されるものだ。まあ、見ていろ」

「信玄は激昂し、八千の兵を率いて村上攻めを決行する。折悪しく、勘助は、種ケ島購入の所用のためため不在だった。信玄を止めるものはいなかった。兵は、八千対村上勢は四千。楽に勝てるはずだった。ところが…」

晴信がようやく気が付いた時は遅かった。(略)
それは、敵をおびき寄せるための囮だったのである。(略)偽の本陣に突っ込んだ時、すかさず本体を側面から入れて、武田軍の全部と後部を遮断した。この結果、板垣隊は敵中に完全に孤立した。
「雑兵には目をくれるな。信方を討て」
義清は声をはりあげた。先鋒であり武田随一の猛将板垣信方を討ち取れば、相手に与える打撃は限りなく大きい。
(略)「板垣駿河守様、お討ち死に!」
(略)晴信は、信じられないように何度も首を振った。
(略)一方、義清は全軍に次のように命じた。
「相手になるな。敵をいなすのだ。押してくれば引き、引かば押せ。敵を戦場にくぎ付けにせよ。そうすれば必ず勝てる」
(略)さらに一刻が過ぎた。武田兵の動きが目に見えて鈍ってきた。寒さと空腹で体が動かなくなってきたのだ。義清はその機を逃さず全軍に突撃を命じた。
「晴信、命は貰った」
大将自ら馬に乗り、村上勢は一気に勝負をかけた。
まさに怒涛のように、村上勢は武田の本陣に向かって突進した。
(略)晴信が敗死を覚悟した瞬間…(略)

「詳しくは伏せるけど、思いがけない展開で晴信は九死に一生を得るんだよね」
「うん」
「この戦いには、かつて諏訪の姫を奪い取られた望月誠之助も信玄の敵として登場してくるんだよ。それ以降も、帰国した山本勘助の助けもあり、近隣の諸大名を併呑していくのね。次々と現れる、知略に長じた諸大名たち…。北条氏康、今川義元…そこでも、謀略に次つぐ謀略、心理戦の駆け引きが、間断無く、次から次へと、立ちはだかる難題、それに鬼人の如き智略で挑む勘助…それが、ものすごい数百ページに及びボリュームたっぷりで描かれる…勘助の、そして信玄の戦い。そして、最大の敵が現れる…。その名は、越後の上杉謙信。正義を重んじ、決して金品や名誉に動かされない、戦国大名には異色の高潔な男だった…。」

「およそ兵法と申すは、すべて人を欺く術でございます。人を欺いてまで勝ちを得ようとは、拙者、露も思ってはおりません」

「彼は義に生きる男だったのね。そして、勘助の策に対抗しうる知略の持ち主でもあった…そして、信玄が領地を広げるにしたがって、両者の激突は避けられないものとなっていった…。信玄と勘助対謙信という、知恵と知恵のぶつかり合いが始まる」
「うん」
「この駆け引きも手に汗をにぎるものがあってね。」

(略)勘助は天地が引っ繰り返るほどの衝撃を受けた。
(略)生涯を通じて初めて、敵に完全に策を読まれたのである。
(長尾景虎、恐るべき奴)

「いよいよ、山本勘助でさえ、知略に敗れ、絶対絶命の危機におちいる…世にいう川中島の戦いで、最前線にいた信玄と勘助は…」

(おかしい)
(略)勘助はまだ政虎(註・謙信)が妻女山にいると信じていた。
しかし、次の瞬間その信念はものの見事に打ち砕かれた。うっすらと霧が晴れた目と鼻の先に、数千の軍勢が浮かび上がったのである。中央に「龍」と「毘」の旗がある。勘助は心臓をわし掴みにされたような衝撃を受けた。
(政虎!)
(略)「勘助、まんまと裏をかかれたのう」
(略)「面目ござらぬ。この勘助、一生の不覚」
(略)霧が晴れた。ついに戦いの火蓋は切られた。

「そして、勘助は命をかけて最後の戦いにおもむく。謙信は、意表をついて、当時の常識では考えられない戦法、大将自らただの一騎で、信玄の本陣へ突進する。ついに、両者は、合間見え、刃を交え、激突したー」
「うん」
「と、こんな筋なのね」
「いつも、いいとこで終わるんだからあ」
「だって、この場は、これから読む人に、最低限のあらすじだけ紹介して、肝心なところは、読んでのお楽しみにしておかないと、いけないでしょ?」
「それはそうだけどさあ」
「まあとにかく、この『野望』は、めったにない面白本だから、自信をもっておススメするね。ちょっと長いけど、あと、とても素晴らしい特徴があるんだよ」
「なに?」
「それは、文章が簡潔なところなんだよ。井沢元彦の小説はいつもそうだけど、余計な、風景描写とか、情緒的な感情描写とかが一切なく、そぎ落とされてて、あれよあれよという間に、行動と論理、ロジックのみの超速展開で全体が描出されているんだよね。だから、読む人は、オハナシの筋のエッセンスだけを、バシバシ、ストレートに頭に、スピード感をもって叩き込まれるってわけよ」
「ふーん」
「この本も、上下巻になってるけど、並の小説みたいに描写がくどいと、この二倍の分量になってたんじゃないかな」
「へえ」
「まあ、人によっては、ト書きつきのシナリオみたいで物足りない、と見る人もいるかも知れないけどね。あたしは、どっちかって言うと、この簡潔さのほうが好みかな。山本周五郎的な、情緒たっぷりの時代小説とは、ハナから違う、血沸き肉躍る根っからの講談小説とみればいいんじゃないかな」
「ふーん」
「読んでいて、こう思ったな。シナリオならシナリオでいいじゃない。例えば、黒澤明の『隠し砦の三悪人』『影武者』なんかは、面白いけど、シナリオという形になると、筋だけが簡潔に記されていて、ちょうどこの作品と似たようなものになるんじゃないか、ってね。映画の場合、情景描写は映像によってなされるからね。そして、逆にこの作品を映像や情景付きで映画化してたら、とてつもない面白さになる、それだけの骨格を持った作品だと思ったね」
「うん」
「まあ、史実をもとにして書いてあるから、オリジナリティという点では、大いに現実を参考にしている点は、あるけどね…。新田次郎の『武田信玄』も、読んでないし、そこらへんはよく分かんないんだけど…」
「うん」
「ただ、そうした先行の小説では、信玄を正義の側の人間として描かれてるのに対し、こちらは、徹底した悪、ダークヒーローとして描いた点が、大きく違うんじゃないかな。そして、何度も言うようだけど、とにかく数百ページに渡るロジックの戦いの面白さだよね。推理作家でもあった井沢元彦ならではの、冴えだよね」
「そうなんだ」
「この井沢元彦は、他にも、超絶面白い時代小説を書いていてね…。短編集では、『暗鬼』『明智光秀の密書』、長編だと、『日本史の反逆者~小説・壬申の乱』『銀魔伝』なんかがおススメかな。どれも、いまどき、こんな、どストレートに面白さだけを追求した作品があるのか、と、いった驚きを与えてくれるよ」
「ふーん」
「ちなみにこの作品には、後日談があってね。『覇者』上下巻と、『驕奢の宴』上下巻というのが、祥伝社文庫から出ているよ。こちらも面白いけど、まあ第一作目の『野望』が、何といっても一番面白いね」
「そう」
「山本勘助ってのは、後世の史談家の創作であって、実在の人物じゃないんじゃないか、という説もあるけど、井沢元彦は、小説家としての空想を無限大にふくらませて、ものすごい魅力ある名参謀として、縦横無尽に活躍させているね。これも、小説というジャンルの魅力かな」
「そうなんだ」
「とにかく、長い小説だけど、読み始めたら、え、次どうなるの?どうなるの?と、頁を繰る手が止まらなくなるよね。数晩は徹夜してしまうんじゃないかな。歴史小説なんてかったるい、と、思ってる人にも、自信をもっておススメできる作品だよ。ぜひ読んでみてね。じゃあ、またね!」

お世話になっている書評本5冊

「2021年あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします!」
「あけおめー。ことよろー。今年は、初詣でにも行けないし、冴えない正月だね」
「まあ、これも、今、歴史の一大事の中をくぐりぬけている最中だと思えば、いい経験…といえるようになればいいよね」
「初詣でどころか、外にも出られないし、つまんないったら、仕様がないね」
「TVもいつもの、正月特有のつまんない番組ばかりで、おまけにソーシャルディスタンスとかで、番組作りもいろいろ制限かかってて、面白く無さに拍車がかかってるよね」
「せっかくの休みなのに、もったいないなあ」」
「そういう時は、やっぱり本よね」
「えー、休みをつぶしてまで本なんか読みたくないよ。面倒くさいし」
「まあ、本ってのは、読んでみないとわからない、当たり外れってのがあるからね…。時間がかかるよね。でも、面白い本を紹介してくれる、『本に関する書評本』の中には、その本じたいが面白くて、それこそ徹夜本となってるケースが多々あるんだよ」
「へえ、そうなの」
「そこでね、今回はお正月記念として、あたしが、これまで読んできた『本に関する本』の傑作を、ランダムで五つ紹介していくね!どれも、読み始めたら、のめり込んで読んでしまって、それこそ寝食を忘れてしまうくらいの面白本なんだよ!」
「ふーん」
「そして、このページを作ってるモトというか、ヒントになってる部分もすごくあってね…」
「うん、このページの楽屋大公開、ってな面もあるわけね」
「では、順位は付けずに、ランダムで紹介するね!」

1・『小説世界のロビンソン』(小林信彦)

「この作者には、『東京のロビンソン・クルーソー』というエッセイ集もあってね、自分を、孤独なチャレンジャーになぞらえるのが習いになってるのか、こういうタイトルなんだけど、中身は、すごくマジメな小説論なんだよ。小説とは何か、小説とはどうあるべきか、という、古今東西の偉い人が論議しまくってきた世紀の難題を、その原点から、自分が読み、育ってきたさまざまな作品との出会いを通して、皮膚感覚でそれに答えを出そうとしていく、孤独で深淵な記録とでもいうか…」
「何だか、難しそうだね」
「それが全然、そんな事はないんだよ。人ひとりの成長とともにその内部に培われた文化の変遷として、順序だてて語られてるし、とても読みやすいんだよ。あくまで作者の体験、その時の生身の感覚から考察を行ってるから、順を追って自然に理解できるし、小説に関する過去の諸家の論争も、じつにすっきりと平明に解説され、作者の内部で丹念に噛み砕かれていて、それにについてあざやかで胸がわきたつような著者なりの解答を示唆する、という、素晴らしい構成になっていてね…幼い頃の落語体験から、疎開先での漱石との出会い、耽溺した勃興期の推理小説との出会い…と、それぞれが、ワクワクするような精神的冒険になっていて、読んでて、えっ、次はどうなるの?どうなるの?って、頁を繰るのがやめられなくなるんだよね」
「ふーん」
「何よりも、小説って、夢を語るものじゃない?小説家という名の、夢を騙ろうとしてる過去の人たちの様々な冒険が、面白くないわけはないよね」
「へえ」
「この手の話って、難しい顔をして論じようとすれば、いくらでも難解に出来るんだけど、この本の作者は、一貫して、面白さの仕掛けあってこその小説だ、そこに純文学や大衆小説の区別などない、という立場なのね。常にあたしたち読者の味方なんだよ」
「そうなんだ」
「この本を通じて、漱石と落語の関係、西洋における小説の勃興、実験小説の壮大な試みと挫折、など、文学史のさまざまな側面を知ることが出来たな。もちろん、取り上げられてる作品じたいも面白いから、超一級のブックガイドにもなっているんだよ」
「ふーん。どんなの?」
「まず、『吾輩は猫である』ね。小学生のころ、子供文庫で読んだときは、どこが面白いのかさっぱりわからなかった。ところが、この小説の書かれた動機や背景がわかってくると、まるで違って見えてくるんだよね。まあ、子供にはわからないよね。完全に大人むけの笑いだもんね」
「へえ」
「それから、何といっても、『富士に立つ影』ね。この本にもストーリーのあらましは載っているんだけど、実物を読んでみて、そのあまりの面白さに、全10冊の大長編を、幾晩も完徹して読んで、その日の分を読み終えたら、矢も楯もたまらなくなって、朝になったら本屋に飛んで行って、続きを買う、というどえらい体験をしたもんだよ」
「ふーん」
「まあ、『富士に立つ影』については、また後日トピックとして取り上げるかもしれないから、余り多くは語らないけど…。まあこの『小説世界のロビンソン』は、そういう創作者たちの精神における実験の記録であり、作者の、小説や創作世界と言う面での様々な出会いや衝撃の実録であり…とにかく、文学論というと、小難しくなりがちなのを、鮮やかな手つきでその世界を泳ぎわたっていく、やっぱり冒険談といっていい内容の本だと思うな」
「へえ」
「実は高校生の頃にこの本を読んだんだけど、普段ユーモア小説を書いている人が、こんなにも小説の原点と理想を追い求めていたとは、と、驚いた記憶があるな。あと、当時のこの手の本には珍しく、マンガを高く評価しているんだよね。特に『ガラスの仮面』に対しては…」

かつては小説の最強の武器であった物語性は、どうやら少女まんがに根をおろしたらしい。

「とまで書かれているんだよ。この柔軟な姿勢、なかなか他の人にはないものだよね。マンガに対する評論は、このところいっぱい出てきてるけど、時代を考えると、この人がここで認めたのが、公的な評論の場でいえば、ほぼ一番早いんじゃないのかな。あと、この人の書評集は、『地獄の読書録』、『本は寝ころんで』、『超・読書法』他さまざまあるけど、みんな傑作だね」

2・『芥川賞の偏差値』(小谷野敦)

「文壇の新人賞として、トップクラスに位置付けられている芥川賞…それを受賞することは、その年度における純文学の最高峰と目されるに等しい…とされてきた。しかし、今、虚心坦懐にその過去の受賞作品を読んでみたら、果たしてどうなのか?本当に賞賛されるにふさわしい作品であったのか?そんな、誰もが手を付けてこなかった素朴な疑問に、正面から、率直でユーモラスな語り口で迫っていったのがこの本なんだよね」
「うん」
「この本も、衝撃的だったな。前に紹介した『小谷野敦のカスタマーレビュー』でも、つまらんものはつまらん、とバッサリ斬っていくこの著者の姿勢が、この本にも、如実にあらわれた傑作本だよね」
「ふーん」
「こんな事も書かれているんだよ」

芥川賞もまた、(略)どうも変わらない性質というものがあるらしい。その最もたるものは、受賞作が
「面白くない」
ということに尽きる。同じ作家でも、ほかに面白い小説はあるのに、芥川賞に選ばれるのは、面白くないものが多く、また候補作の中でも、面白くないものを選ぶという傾向がある。
もちろん、「面白い」には、高級な意味と低級な意味とがあるのだが、どちらをとっても、芥川賞は、面白くないのを選ぶのである。これは伝統だろうか。

「笑っちゃいけないんだろうけど、つい笑ってしまうね」
「並みいる大家や天才作家の有名作品を、ハイ次、ハイ次!と、あざやかな手際で斬ってすてる姿は、黒澤明の『用心棒』の三船を見ているような感覚を与えてくれるね。もちろん、褒めるときは最大限に誉める。前に紹介した『コンビニ人間』を読んだのも、ここで褒められていたからなんだよね」
「ふーん」
「例をあげるときりがないけど、『優れた通俗小説は存在しうるが、吉行はそれですらない、つまらない純文学作家』(吉行淳之介)、『小島は「無重力文体」などと言われていたが、単に下手だっただけなんじゃないか』(小島信夫)、『下手な作家だなあと思うだけである」(開高健)『神話が独り歩きした作家である』(中上健次)と、大家相手でも、容赦なく斬りまくるんだよね」
「いいたい放題だね」
「大家に対してですらこうだからね。でも、実際こういうことを言い続けている人が、あまりにも少ないというのが、いまの日本のダメなところなんじゃないかとも思うね」
「そうだねえ」
「それでも、読む作品を選べるという点で、大いに助かったよ。文学上の歴史とか、興味深いゴシップとか作品選考の舞台裏について触れられていて興味深い部分もあるし、巻末には、『では名作はどこに』と題して、日本の文芸作品の傑作群が、有名、無名を問わずリストアップされてるからね。読書案内としても一級だよ。ただね…」
「何?」
「ダメ押しのように、芥川賞を獲る作品ってのは、「いかにもうまいという風に書いて、かつ退屈である」作品なのだ、と決めつけられてるので、これから先、未読の芥川賞作品を読むポテンシャルがそがれてしまうんだよね…。まあ、いままで紹介してきた芥川賞作品も、なんだかやっぱりというか、神経症を患ってるんじゃないの、ってな作品が多かったけどね…」
「ふーん」
「まあ、それでもこの本は、今回この記事を書くために、あらためて再読したけど、もう、面白すぎて、また一気に読んじゃったよ。あと、この著者の他の作品、『バカのための読書術』、『「こころ」は本当に名作か』なんかも、ブックガイドとして、読み始めたらやめられない傑作だよ」

3・『100冊の徹夜本』(佐藤圭)

「このブログのタイトルにも使わせてもらった『徹夜本』と言う名称は、たぶんこの本から始まったと思うんだよね。とりすましたお上品なミステリーよりも、ドキドキ、ワクワクの、読み始めたら夜が明けるまで止められなくなるような、そんな本こそ、本当に読書の楽しみを味わわせてくれるものなんだ…と、そんな、反骨精神から生み出された本なんだよね」
「このブログとキャラまるかぶりじゃないの」
「まあ、この本は海外ミステリー専門だから、そんなに本が重複することはないんだけどね…。この、本の紹介文だけ読んでても、本当に面白いんだよ。試しに何冊か読んでみたけど、紹介文のほうがはるかに面白かったりしたし」
「へえ。どんなの?」
「『リプレイ』とか『透明人間の告白』、『摩天楼の身代金』、『超音速漂流』、『推定無罪』、『ホッグ殺人事件』、『死者の書』、『恐怖の幻影』などね。まあ、普通に面白かったかな。あと、すでにここで紹介したものとしては、『バーニーよ銃をとれ』、『真夜中のデッド・リミット』が含まれているね」
「ふーん」
「この本、余りに面白いので、この著者、他にも本を出してないかどうか、調べてみたんだけど、どうやら、これ一冊きりみたいなんだよね…。続編があるなら、読んでみたいな」

4・『本格力 本棚探偵のミステリ・ブックガイド』(喜国雅彦)

「これは、古今東西のミステリーの名作を、今の若い人の眼で評価したらどうなるかを、会話体形式で論じていくというやつだね。いちばん、このブログに近い形式かな。ヒントにもさせてもらっているしね」
「ふーん」
「著者は、本業は漫画家で、全体にギャグが散りばめられた対話形式で、笑いながら気軽に読めるんだけど、中身は本格的なミステリー論なんだよね。この本で、推理作家協会賞を取っているよ」
「そうなんだ」
「まあ、難を言えば…推理小説の評論って、ネタばらしはご法度なんだよね。そこをぼやかしたままで話が進んで行くから、元の本を読んでない人には、分ったような分からないような話で終始してしまっているということかな。まあ、それは仕様がないけどね。」
「うん」
「この本も、色んな作品を読むきっかけになったな。クイーンの『Xの悲劇』、『Yの悲劇』、『Zの悲劇』、『エジプト十字架の謎』、ルルー『黄色い部屋の秘密』、ミルン『赤い館の秘密』、フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』、ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』クロフツ『英仏海峡の謎』なんかね。『本格力』は、本当に気軽に読めるから、おススメだよ!」

5・『ぼくはこんな本を読んできた』(立花隆)

「これは、立花隆が、今も『週刊文春』で続けている、『私の読書日記』をまとめた本の第一冊目だね。1992年から続いている連載なんだよ」
「へえ。すごいね!」
「最新の科学の話題から、政治、文化、キワモノめいたゴシップ本まで、興味をそそられた本について、ありとあらゆるジャンルのものを取り上げてるね。これ一冊読むだけで、ゆうに数十冊を読んだのと同じような感触を得られるよ。知らなかった事実、知見、そんなものゴロゴロしていて、読み終えあたときは、相当な情報量を自分は得たんだ、という、ワクワクするような充実感を与えてくれる本だね。このシリーズは、『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本』、『ぼくの血となり肉となった500冊』、『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』と続いていくんだけど、どれも超ド級の面白さなんだよ」
「ふーん」
「まあ、これだけジャンルに幅のある書評集は類をみないと思うな。中でも、面白かったのは、キワモノ中のキワモノとして扱われていた、鶴見済『完全自殺マニュアル』とか、永沢光男『AV女優』とかを高く評価したりして、人々の見識を改めさせたところかな。この本がなかったら、見落としていた様々な本に出合わせてくれた、恩義ある本なんだよ。これなら、普段読書嫌いの人でも、ありとあらゆる情報の洪水に、夢中になって読んでしまうんじゃないかな」

「ということで、今年も続けていく予定ですので、よろしくお願いしまーす!」
「お願いしますー」

「小谷野敦のカスタマーレビュー」(小谷野敦)

「さて、今年も残りわずかだね!」
「そうねえ…なんか、一年中、コロナに振り回された冴えない年だったね」
「このブログも、8月20日に公開して、4か月ほどになるんだけど、いままでで何冊紹介できたっけ?」
「そうだね。数えてみると、記事にして36本、本の冊数にして、41冊ってとこかな」
「そうかー。当初の目標であった100冊まで、その三分の一くらいまで来たわけだね。まあまあ、いいぺースじゃない?」
「そうだねえ」
「三分の一に到達したのを機に、これからは、取り上げる本について、もっと自由に選んでいくようにしたいんだけど、いいかな?」
「え?どういうこと?」
「今までは、田中英光みたいな、一冊では語り切れなかった場合を除いて、原則一作家一作品で、同じ作家の書いたものは取り上げるのを遠慮してたんだけど、これからは、自由に同じ作家の作品でも、選べるようにしたいんだよね」
「あれ?そうだったの」
「そう、やっぱり個人の好みって、かたよりがちじゃない?読む人にとっても、同じ傾向の作家ばかり見せられても、またかよと思われるかもしれないし、バラエティに富んだ内容にするために、同じ作家の書いた作品は、取り上げてこなかったんだよね。でも、やっぱり、同じ作家の作品分でも、ぜひ紹介したい、と思える作品もあるんでね、これからはそういうのも解禁しようと思って」」
「ふーん」
「これで、あたしの好きな、筒井康隆、小林信彦、島田荘司なんかの別の作品を紹介していけるってもんよ」
「そうかあ」
「とりあえず、年を締めくくる意味もあって、今日は書評の本を紹介したいと思うんだけど」
「うん」
「これはね、隠れた超面白本なんだよ。『小谷野敦のカスタマーレビュー 2002~2012』」
「カスタマーレビュー?」
「そう、アマゾンにあるでしょ?一般の人が商品についてあれこれ評価を自由に書き込むやつ…。これは、比較文学の専門家である小谷野敦が、十年間に書いたそのレビューを集めたものなんだよ」
「へえ」
「まあだいたいあそこに書き込む人ってのは、素人がほとんどだから、そんなに大した知見がごろごろしてるわけでもなし、ホントに参考程度にしかならないんだけど…この人のは違うのよね」
「うん」
「まず、きっちりと本名を名乗って、発言に対して責任をもったうえで論評しているのが、珍しい。レビューしてる他の人はほぼ全員ハンドルネームでしょ?」
「そうだね」
「そして、短文ながら、力をこめて、比較文学者の知識と感性を動員して書かれているのも、珍しい。アマゾンの本関係のレビューで、これほどの知識量と研究の体験の積み重ねをもって書かれたものは他に類をみないよね」
「ふーん」
「そして、なにより、面白いの!レビューって短文だから、いきなりズバッと結論から入るんだよね。だから退屈しない。一冊にまとまると、ある種のアフォリズム集かと思える様な重みと厚みをもって読めるんだよ」
「へえ」
「そうして、概して、現代の日本に澱のように蔓延している、妙に権威的でセンチメンタルな言説に対して批判的で、甘々なムードだけでお手軽に出来ていく小説や映画に対して、容赦ない批判の矢をあびせるのね…。芸術性とか、なんだかわからないけど巨匠の作品だから、名作とされている有名な作品だから、とか、そんなわけのわかったような、わからないような理由で褒めるということは絶対にない。世界的な名声を得ている作品でも、面白くなければ容赦なく切って捨てる。」
「うん」
「これも、古典から現代文学にいたる、膨大な作品群を実際に読み倒した著者ならではの強みだよね。この本を読むことで、あたしにも、自分では読んでない本の、読後感とか中身とか、おぼろげにわかるんだよね。褒めてる本は読んでみたいと思うし、けなしてる本は、なぜそうなのかが寸評的に書かれているから、あー、そうなのかー、読まなくてよかった、時間を無駄にするとこだった…と、安心できるしね。」
「ふーん」
「ホント、この形式の本って、もっと色んな作家や評論家が出しててもいいんじゃないかと思ったもんだけど、なぜか、この小谷野敦しか出してないんだよね。」
「そうなんだ」
「まあ、アマゾンのレビューの場というのが、正当な評論の場として認知されていないというところからじゃないかなとは思うけど…この作者は、そういう場で真剣に論評を繰り広げていく、時代を先取りしたドン・キホーテ的な役割を果たしているんじゃないかと思ったね」
「へえ。それで、どういうことが書いてあるの?」
「たとえば、英文学の古典中の古典、『ベオウルフ』については、こんなふうに書かれてるのね。

(略)昔から大勢の中世英語の研究者がよってたかってやってきた。しかしつまらないものはつまらない。『源氏物語』に比べたら雲泥の差。ホメロスに比べたら文明の程度が違うくらい。(略)各国の英雄叙事詩の中で最もつまらないものである。

「なんか、笑っちゃうね」
「そう、てらわずしてにじみ出てるユーモアも、この作者独自のものなんだよね。他にも、長与善郎の『青銅の基督』について…」

なんでこんな愚作が近代日本の代表的古典のように言われているのか理解に苦しむ。(略)キリシタンの主題が西洋人に好まれて西洋で翻訳されたからに過ぎまい。その辺、遠藤周作と似たようなものだ。

「吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』について…」

これほど有名でありながら、これほど何を言っているのか分からない書物というのも珍しい。(略)読んで得るものはほとんどない。

「石川淳の『紫苑物語』について…」

石川淳は、フランス語、漢文ができてすごいが、それだけで、小説は面白くない。(略)要するに高校生の空想程度のものでしかないということだ。(略)大人の読みものとはとうてい言えない。非リアリズムも結構、泉鏡花くらいになれば見事なものだが、石川淳というのは非リアリズムのダメなほうの例として残るといいかもしれない。

「あたしも、昔、石川淳の『普賢』『狂風記』『六道遊行』『至福千年』を読んだけど、なんか、よく分かんなくて、これは、自分の読解力が足りないせいなのかと思ってたんだけど、こうズバッと言われると、なんとなく腑に落ちるものがあるよね」
「ふーん」
「まあ、今考えると、要するに、大仰な文体による、こけおどし的な何かじゃなかったのかなあって…はっきり断言するのは危険だけど、この書評を読むと、ああ、そういうもんかもな、世の中で誰それが褒めたからって、立派な賞をとってたって、つまらないものはつまらないんだ、そう思っていいんだ、、という小さな勇気を与えてくれるよね」
「そう」
「でも、いっぽう、すでに買って持ってて、まだ読んでいない本を酷評されると、ああ、買って損したかも!と、ガックリした気分になるよね」
「そうなんだ」
「例えば、この本の中で言うと…」

ジーンリース『サルガッソーの広い海』→文学作品としてはまったくの駄作である。
エリアーデ『マイトレイ』→凡作。
渡辺京二「逝きし世の面影』→現代最大の悪書。
野間宏『わが塔はそこに立つ』→記念碑的なつまらなさである
マルケス『百年の孤独』→そんなに名作かねえ。
ケルアック『オン・ザ・ロード』→退屈の一語
ディケンズ『デヴィッド・コパフィールド』→退屈だった。
ディケンズ『大いなる遺産』→つまらないし意味もよくわからない。
ハーディ『テス』→とても今では読むに耐えない。
マードック『海よ、海』→つまらなすぎる。
コンラッド『ロード・ジム』→意味不明なんだが
コンラッド『闇の奥』→意味分からず。

「ひどいもんだね」
「もう、笑っちゃうほど、容赦がないのよね。あと、短評の中に、昔は伏せられていて、今では明らかになった歴史的事実が示され、文学作品を味わうのに、不可欠な知識を与えてくれる面もあるんだよね」
「へえ、たとえば?」
「コクトーの『恐るべき子供たち』について、コクトーは同性愛者で、女への恋は書けないのである、と言ったり、プルースト『失われた時を求めて』も、同じく作者が同性愛であり、登場する女たちが実際には男たちであったために、変になってしまっている、とかね」
「ふーん。それじゃ、作品の読み方がガラッと変わってしまうよね」
「そう、あと、シュリーマン『古代への情熱』は、『現在までの研究で、このシュリーマン自伝は嘘八百であることが明らかになっている、と、とても原著には書けない事も暴露してるんだよね」
「へえ」
「そう、読書の基礎を固めるという上でも、なかなかあなどれない本なんだよ。本だけじゃなく、映画のDVDについても論評されていて…」

是枝裕和『誰も知らない』→こういうふうに撮れば褒められる、というのがみえみえである。
崔洋一『血と骨』→こういう話だろうなあ、と思ってみたら、やっぱりそういう話だったというのはやはりまずいだろう。
イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』→暗きゃ名作って考え方は、まるで往年の自然主義だ。
山崎貴『ALWAYS三丁目の夕日』→何という安っぽく傷だらけのシナリオであろうか。(略)映画作りにおいてはど素人であると言うほかない。

「もうクソミソだね」
「それでも、『ホントにそうなのか?見てみようかな』と思うよりも、『ああ、やっぱりそうだったのか』と納得してしまうところが、現代の映画界の悲しいところだよね」
「『万引き家族』も『パラサイト』もいまいちだったしねー」
「もう、いちいち思いあたる事だらけで、笑ってしまうのよね。いっぽう、褒めてある本は、いかにも読みたくなるように書いてあるんだよね」

子母澤寛『勝海舟』→ヴィクトル・ユゴー級の名作
島尾敏雄『死の棘』→私小説の極北
筒井康隆『ロートレック荘事件』→今まで読んだ中で最高の推理小説
佐江衆一『黄落』→文学の王道
加納作次郎『世の中へ・乳の匂い』→人が生涯に一つだけ書けるような
なかにし礼『兄妹』→直木賞をとらなかった名作
大江健三郎『キルプの軍団』→あまりに素晴らしいので驚いている。
和田芳恵『暗い流れ』→驚くべき名作
近松秋江『黒髪・別れたる妻に送る手紙』→名作です。
ゴーゴリ『死せる魂』→ゴーゴリの最高傑作

「メジャーじゃないものにも、言及されていて、例えば…」

茨木保『まんが医学の歴史』→「まんが何とか」でこんなに面白いのはカゴ直利の大河ドラマもの以来だ。絵もうまいし構成もうまい。
高井有一『立原正秋』→傑作伝記小説
吾妻ひでお『ときめきアリス』→これはいいよ。吾妻本来の美少女とエロとSFの世界。

「映画では」

増村保造『痴人の愛』→原作よりいいね。
加藤彰『F・ヘルス日記』→知られざる名作だなあ
松山善三『名もなく貧しく美しく』→涙滂沱、ただ滂沱である。
黒澤明『素晴らしき日曜日』→涙がとまらなかった。
新藤兼人『第五福竜丸』→日本人全員が、また世界中の人が見るべき映画である。
山本薩夫『にっぽん泥棒物語』→絶対観るべき映画の一つといえよう。

「さらには、アダルトビデオまで、取り上げてるのね」

光夜蝶『若妻の旅』→AV史上の奇跡(略)これは凄い。二十年以上AVを観てきた者として、最高傑作のひとつと確言できる。

「こんな感じで、ひとつひとつの寸評が、ビンビンに頭に響くような異様な面白さで、この本を読み始めると、さまざまな本の世界と、本を中心にして、いま現代社会をとりまいているインチキさを含んだ空気感ってのが、まざまざと頭の中に湧きおこって、読むのを止められなくなっちゃったんだよね」
「へえ」
「あと、それでね、小谷野敦の他の本、特に、文芸評論的な本を何冊か読んでみたんだよね。特定の作家の評伝として書かれた本は、さすがに過激で突拍子もないことは書くわけにいかないから、ごく普通に読んでしまったけど、それ以外の本…特に、文芸論争をテーマにした本は、どれも面白かったよ」
「ふーん。その本もこんな感じなの?」
「まあ、他の本は、さすがにもっとまとまった分量できちんと書かれたものになってるから、この本ほどの衝撃というか、スピード感はなかったけどね…」
「うん」
「『バカのための読書術』、『もてない男』、『「こころ」は本当に名作か』、『芥川賞の偏差値』、『反=文藝評論』、『現代文学論争』、『文学賞の光と影』、『文章読本X』、『純文学とは何か』、『私小説のすすめ』、『評論家入門』、『このミステリーがひどい』、『哲学嫌い』と言った本だね。」
「なんだか、ふざけたタイトルのものもあるね」
「中身は、すごくマジメなんだよ。マジメをこじらせすぎて、かえってユーモラスになっているような感じで…。今あげたどの本も、立派に徹夜本としての資格を備えていると思うな。すっごく面白いんだから」
「ふーん」
「あと、この人は小説も書いていてね…。芥川賞の候補にもなったことがあるらしいよ」
「そうなんだ。そっちのほうは読んだの?」
「うーん、今のところまだそこまで手がまわってないというか…。『非望』と『母子寮前』というのは読んだけどね」
「へえ。どうだったの?」
「うーん、まだよくわからないというか…雰囲気としては、近松秋江から、アクを思いっきり抜き取って、中島義道を一滴たらしたような味わいというかな…」
「なんの例えだか、わからないよ」
「まあ、そっちのほうは、まだ開拓中ということにさせてもらうよ」
「ふーん」
「さっきも言ったけど、いま挙げた本は、どれも、読み始めたら、中毒になるくらいの面白さを持っているから、超おススメだよ。翌日に学校や会社を控えている人は、夜眠れなくなってしまうかもしれないから、気をつけてね!じっさい、この人の本で、あたしも、朝方まで読み耽ってて、あやうく会社に遅刻しそうになったんだから…」
「へえ」
「ちなみにこの著者の、アマゾン上でのレビューは、本になっていないものがまだまだ膨大にあってね…アマゾンのページで検索すれば、見ることが出来るよ。面白いから、是非読むことをおススメするよ」                              「へえ。何を言ってるのか、楽しみだね」
「ということで、今年の記事はこれで終わりね。また来年お会いしましょう!じゃあ、またね!」

「思索紀行」(立花隆)

「今日は、立花隆の『思索紀行』を紹介するよ!」
「ふーん。なにそれ?旅行の本?」
「まあ、そうなんだけど、そんじょそこいらの旅行記の数倍は面白い、ワクワク感満載の本なんだよ!」
「へえ。なんか、付箋がいっぱい貼ってあるね」
「とにかく、この本を読みだしたら、あっ、ここは紹介したい、ここも紹介したい、と、そんな、面白いエピソードが満載で、付箋を貼り出したら、もう、とめどもなくなっちゃったんだよね。この本一冊で五冊分くらいの読み応えがあるんじゃないかな」
「へえ。立花隆って、聞いたことがあるね。確か、テレビに出てた人じゃない?」
「そう、NHKスペシャルなんかで、医学の話やら臨死体験の話やら、取材班と一体となって、世の中のさまざまな、興味深い事象に取り組んでる人ね。若い頃は、『田中角栄研究』なんかで、大センセーションを引き起こした、ジャーナリストの大物なんだよ」
「ふーん」
「それも、本人は、そんなセンセーションを引き起こす目的で書いたんじゃなくて、ただただ、好奇心のおもむくままに調査をすすめていった結果がそうなった、という感じでね…。とにかく、世の中の、この人が感じる本質というものに、くらいついたら、納得するまで離さず、暴き倒すという情熱を持ってる人なのね」
「へえ」
「だから、著作も多岐にわたるんだよね。政治についての本もあり、化学についてもあり、宇宙、歴史、音楽…と、知りたい、触れたいというとめどもない知識欲のおもむくままに、調べ倒し、取材したおし、その過程を、本にしていく、という、エネルギッシュな人だよね」
「ふーん」
「で、この人の論理の誘導に乗って、知識ゼロのあたしたちでも、化学方面や政治についての専門的な最先端の知の世界を垣間見ることができるわけよ。とにかく、ドしろうとの段階から、説明してくれるし、その道の、たとえば科学の専門家たちに、根本から取材してくれるから、すごくわかりやすいのね。マスコミ内では『知の巨人』と呼ばれたりしてるけど…」
「うん」
「この言い方は、ちょっと反発を招いているところもあるよね。別にこの人が新たな学問の発見をしたわけじゃないんだから、『知の案内人』『知の解説役』と言うふうにいったほうがいいんじゃないかな」
「ふーん。で、この本は、その偉い人が書いた旅行記なの?」
「そうだね。この人の書いた本のなかでは、珍しく、自分の旅の記録を書いた本だね。いままで、取材した政治や科学の本は数多く書いてるけど、旅行記って、書いてこなかったんだよね」
「そうなの?」
「うん。自分の事より、まず、面白そうな事案について、取材しまくって、その過程や成果を表わすということに情熱をかたむけてきた人だからね。この旅行記なんてのは、この人の本のなかでも、かなり異色なものに入るのかもしれない」
「ふーん」
「出版社も、書籍情報社という、あんまり聞いたことのない所だしね…。あんまり、売れなかったんじゃないかなあ。でも、あたしは、読み始めたが最後、止まらなくなっちゃったほどの面白さを感じたんだけどね」
「うん」
「それに、この人はものすごい読書家としても知られているんだよ。蔵書はゆうに数万冊にのぼる、それを収容するために、わざわざビルまで所有して、好奇心のおもむくままに、むさぼるように本を消費し続けてる人なんだよね。『本は安い。その本の情報を、他の手段で得ようとしたら、何十倍、何百倍のコストがかかる』と言っててね…。そんな、世の中の全てをむさぼり続けるのが生きがいのような人が書いた旅行記が、面白くないわけはないよね」
「ふーん」
「で、まず、まったくの根本的な命題である、『旅とは何か』というところから始まるのね」

しっかり予定を立てて、切符をあらかじめ買い、宿も予約してというようなセットアップされた旅はあまりしたいと思わない。ほんとのことをいえば、むしろ逆に、旅に予定があってはならないと思っている。(略)ある日突然乗物に乗り、行きたいところへ行くのがいちばんだし、宿も行った先々でそのとき探してきめるのがいちばんだと思っている。もちろんこういう旅の仕方では、いい宿にあたるとはかぎらないし、むしろ、とんでもなくひどい宿に泊まらざるを得ないことが度々ある。しかしそういうことは一向に苦にならない。逆にそういうひどい宿のほうが、旅の記憶に残って面白いくらいに思っている。(略)
いまいろいろ思い返してみると、私がこれまでにしてきた小旅行、大旅行、全部合わせると、全旅程は地球四周くらいになるだろう(略)

「うん、なんか、わかるような、旅に出る、というまさにその瞬間のワクワク感をうまく表してる気がするね」
「そう、この人は、大学の哲学科を出ているんだよね。いつも、素朴な疑問から、この世のすべてを『理解』したい、感じ取りたい、という衝動を持ち続けているんだよね。だからこういう哲学的な考えも出てくるんだよ」」

すべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。その人がかつて読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わした印象深い会話のすべて、心の中で自問自答したことのすべてが、その人の最も本質的な現存在を構成する。(略)
人間存在をこのようなものととらえるとき、その人のすべての形成要因として旅の持つ意味の大きさがわかるだろう。(略)
旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティ(新奇さ)の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と後とでは、その人は同じ人ではありえない。

「なるほどねえ」
「そう、いつか語ったつげ義春の旅の仕方と似ているのよね。ほら、旅先だと、なんてことない色んな物ものが、えらく新鮮に思えるじゃない?コースの決った道筋よりも、ふと迷いこんだ路地のほうが印象に残ったり…。そしてそんな旅こそが、その人の記憶となり、人間を作っていくんだってことが、書かれてるんだよね」
「うん」
「著者は、若い頃、いったん大学を出て出版社に入るんだけど、思い直して、大学の哲学科に入りなおしてるんだよね。それもこれも、この世を根源から見直してやろうという究極の目的のために…。こんな人が書いた旅行記が、普通のものになるはずはないよね」
「そうだね」
「あるときスペインの大聖堂で…」

(略)私はほとんど誰も人がいない大聖堂にいって、しばらくただ座っていた。
そのとき突然、巨大なパイプオルガンが鳴り出した。何かはじまったというわけではない。オルガン奏者がただ練習のために弾いている様子だった。(略)
突然なぜか涙が出てきた。(略)説明しろといわれてもできない。(略)ただ自然だった。(略)
いまでもあれは、私の人生における不思議な体験のひとつとして、心の中にずっと残っている。(略)
そして、やはり、この世のなかには行ってみないとわからないもの、(略)自分がその空間に身を置いてみないとわからないものが沢山あるのだ、という思いを深くした。あの感動を味わうためには、あのとき、あの瞬間に、私が自分の肉体をもってあの空間に身を置いてなければならなかったのだ。(略)
一言でいうなら、この世界を本当に認識しようと思ったら、必ず生身の旅が必要になるということだ。

「ふーん。言われてみれば、そうかもしれないね。出不精な人間は、かなり人生を損してるかもしれないってことだね?」
「まあ、この論旨に従えば、そういうことになるかもね。この著者は、ジャーナリストになって、世界各地を取材して歩くことになるんだけど、意外なことに、旅行記は、これと、あと、『エーゲ永遠回帰の海』と言う本しか書いてないんだよね。取材対象について書き記すほうが忙しくて、旅行記というものに、本格的に取り組む暇がなかったみたい。だから、これは、貴重な本なんだよ」
「へえ」
「そして、この本の中にも、旅行によって取材を行った文章の数々が収められていてね、良く言えばごった煮的な魅力、悪く言えば寄せ集めみたいな感じになっているんだよね」
「ふーん」
「でも、そのルポのひとつひとつが、すっごく面白いんだよ。たとえば…」

二年前の夏、私はギリシアのアトス半島を訪れた。ここは俗に修道院共和国と呼ばれている。(略)ここはギリシア政府の国家権力も及ばぬ完全自治区なのである。千年以上も前に、東ローマ帝国の皇帝が勅許状によってこの半島を修道院に与えて以来、ここはギリシア正教の聖地として、歴代の世俗権力がその特別の地位を認めたまま今日にいたっている。(略)
ビザンチン様式のイコンや壁画がここほど豊かに残っているところは、世界のどこにもない。(略)
アトスでは、文明を極端に排斥している。たとえば、電気などというものはない。(略)主たる交通手段は自分の足かロバである。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌など、俗世間の事情を伝えるものは何もない。持ち込みも禁止されている。

「へえ、そんな所があるの?初めて知ったよ」
「あたしもこの本を読むまでは、知らなかったよ。信じられないような話だよね。ここには巡礼者しか入れず、観光客は一切お断り、その地に単身乗り込むわけだよね。そうかと思えば、この著者は、に日本赤軍が1972年にイスラエルのテルアビブ空港で起こしたテロ事件の犯人の一人に、外務省を通してインタビューを行っているのね」
「ただの一般人が、そんなことが出来たの?」
「外務省の役人から、どんな事を聞けばいいのか、レクチャーを求められて、文書の形で質問したそうだよ。そして、あの、特攻自殺ともいえるテロ事件は、アラブ社会に大きな感動と影響を及ぼした…それが、今日の自爆テロにまで脈々と受け継がれている、というのね」

そこには、自分の命と引きかえなら相手を殺してもよいという日本的テロリストの美学が働いていたといっていいだろう。
この作戦に対してパレスチナ人の革命組織、PFLPは、「その闘争こそ、自分たちが(略)最もやりたかったことだったけれど、だれもできなかった闘争だ」と、すごく感動して協力したという。(略)
自殺攻撃が急にふえるのは、九〇年代にイスラム過激派が自爆攻撃作戦を取り入れるようになってからである。

「そして、話はイスラム教におけるジハード(聖戦)の思想につながっていくのね。そこにはまた、歴史の暗黒面ともいわれる、かつてのヨーロッパによる十字軍の侵攻というものが、今もなおアラブ世界に根強く恨みとして残っている、という課題を取り上げる…」

十字軍の評価ほど、イスラム諸国と西欧諸国でちがっているものはない。西欧では、十字軍はキリスト教精神に高揚した人々の起こした勇敢な行動で(略)高貴な行為だが、攻めこまれたアラブ側にしたら、(略)国土を奪い、民衆を大量虐殺していった侵略者であり、(略)人喰い人種だったのである。

「西欧側の資料にも、十字軍による、トルコ人、サラセン人の人肉を貪り食う行為が記録されているそうだよ」
「へえ。そんなだったんだ…世界史では、そこまで習わなかったな」
「ビン・ラディンの組織が、ユダヤ人と十字軍に対する聖戦をうたっていたのも、こういう背景あってのことだね。あたしもそこまでは知らなかったから、この本を読んで、初めて眼からうろこが落ちたような感じだね」
「うん」
「まあ、こんな感じで、歴史に対する確かな知識と知見をもって、世界中のあちこちを旅し、ルポした本なんだよ。パレスチナのゲリラ村に宿泊し、爆弾とともに一夜を過ごしたりとかね…」
「すごいね」
「あと、この本で、もうひとつあげると、ニューヨークについて、その摩天楼を見上げて…」

それは古代ローマ帝国の辺境の民族の一青年が長い旅路の果てに、永遠の都ローマに到着し、いまもフォロ・ロマノの遺跡群にその面影を残している壮麗な巨大建造物の立ちならぶ大通りをはじめて歩いたときに感じたであろう衝撃と同質の衝撃であった。

「そしてこの現代の永遠の都ともいえる大都会を隅から隅まで味わい調べ尽くしてやろうと、世界の金融センターの中心から、大銀行の金の秘密の保管金庫、勃興時代の面影を残す紡績業の、薄暗い隘路に似た工場の現場、ショー・ビジネスの裏側、今なお残る、成金を差別する隠れた上流階級のサロン、果ては刑務所からスラム街まで、その歴史と成り立ち、そして現在の考察へと、論を展開していくわけね。そして9・11にいたる…」
「うん」
「あと、この本のなかでは、著者の学生時代の貧乏旅行についても触れられているね。まだ海外旅行が一般的には禁じられていた1960年、広島の記録映像を巡回させるという名目で友人らとヨーロッパを目指す…」
「ふーん」
「原水協や各国の会議でビラを配り、賛同者を募り、そうするうち、ロンドンで開かれる学生主催の「核軍縮会議」への招待状が舞い込む。旅費を捻出するためカンパを呼びかけ、あとは映画を上映しつつその稼ぎでとにかく現地まで辿りつこうじゃないかという、無鉄砲な旅が始まる…」
「うん」
「ロンドン、パリ、スイス、イタリアと、放浪の日々が続く…そこでの様々な出会いに、著者は打ちのめされる」

しだいにその背後にある巨大な文化の体系が見えてくる。(略)ヨーロッパ文化のそのような厚みを、自分はそれまで全く知らなかった。なんてものを知らないんだろうと思いましたね。
(略)やはりこの旅行をしていた半年間は、人生で最大の勉強をしていたんだと思いますね。(略)この旅行から帰ってきたあと、物事がまったく以前と違って見えてきたことを、いまでもはっきりと覚えています。(略)
ぼくはあの頃から、日本の左翼の運動をいっさい信じなくなっている。

ー立花さんが膨大な読書によって独自の世界観を構築されてきたということはよく知られていますが、そうすると旅もまた、そのための方法だったということになりますか。
立花 「旅もまた」じゃなくて、「旅が」ですよ。人間すべて実体験が先なんです。(略)ある文化体系を理解しようと思ったら、そこに飛びこんでその中に身を置いてしまうしかないんです。(略)自分の全存在をその中に置いたときに、初めて見えてくるものがある。

「ながながと引用しちゃったけど、もう、この分厚い本の一部にしかすぎないからね。アッと驚くような鋭い指摘から、歴史をふまえた考察まで、ふんだんに盛り込まれた、中身の濃ゆい濃ゆい一冊なんだよ!」
「なんだか人生論みたいなとこもあるね」
「人生も旅のようなもの、という言葉もあるしね。ちょっと昔に出た本だし、情報的に古い部分もあるかも知れないけど、根本の部分はいまでも、そしてこれからも、変らず重要な指針を示していると思うな。すっごく基調で重要な示唆がパンパンに詰め込まれた刺激的なものだと思う。若い人にはぜひ読んで欲しいね。じゃあ、またね!」

「回想 太宰治」(野原一夫)

梅雨時で増水していた上水の流れはみるみる膨らみ、水勢も強さを増した。ただでさえ困難とされていた死体捜索は、絶望的と思われた。
(略)その天のなかを、早朝から夕刻まで、捜索が続けられた。筏を組み、その上に人夫が立って、竹竿の先に太い鈎針のようなものを括りつけそれで水底をさぐった。
(略)この川に入ったら、死体は絶対に揚がってこない、この川の水底は白骨でいっぱいさ。太宰さんの言葉が思い出された。

「今日は、野原一夫『回想 太宰治』を紹介するよ!」
「太宰治…超有名な人だよね。『文豪ストレイドッグス』でも人気だよ」
「そうだね。名言も多いしね。『生まれてすみません』とかね。この前紹介した田中英光の師匠格でもあったんだよ」
「名前だけは知ってるな。あと、愛人の女性と川に飛び込んで心中しちゃったこととか」
「うん。いまも、人気はすごいよね。全集も、いままで何回出た事やら…。まあ、あたしは、あんまり読んでないんだけどね」
「そうなの?」
「うん、あとで言おうと思うけど、どうも、感覚的に少しなじめないところがあってね…まあ、少数の作品を読んだだけで言いきれるものじゃないんだけど」
「ふーん。で、この本は何?伝記?」
「これはね、学生時代から太宰治に憧れ続け、編集者となってからも、ずっと太宰に寄り添ってきた作者が書いた記録文学というか、実際に接した人にしかわからない太宰の素顔を描出した体験記であり、著者の青春時代のみずみずしい追想を語った思い出の書でもあるんだよ!」
「へえ」
「太宰治は、人との付き合いでは、若いファンにも親切でサービス精神があって、よく人を笑わせてたそうだけど、その生涯にわたって、死というものにとりつかれてた人でもあったのね。著者も含めて周りの人には、いつも自殺をほのめかし、周囲をハラハラさせていた、しかし、それにしてもまさか…と言った矢先での、出来事だった…」

太宰さんと冨栄さんの遺体は、(略)早朝、六時五十分に、通行人によって発見された。(略)橋を通りかかった通行人が、下流十メートルほどの水面に、揺れている二人の遺体を発見した。
(略)私たちは土提の道を走った。道はひどくぬかるんでいて、はねが膝まであがった。すべってころびそうになりながら、私たちは走った。
(略)はげしい勢いで流れているその中流に、杭にでもひっかかっているのか、太宰さんと冨栄さんが折り重なって揺れていた。(略)
水際の、わずかばかりの地面に、抱きかかえるようにして遺体を引き揚げるとき、噎せるほどの異様な臭いが鼻をついた。(略)膨れ上がって白くふやけた遺体は、指先がめりこむほどで、こすれると皮膚がはがれ私たちの雨着に付着した。私たちは遺体をおじさんが用意したシートの上にねかせ、蓆をかけた。
(略)山岸外史さん(註・太宰治の親友)が、濡れた雑草につかまりながら、あぶない腰付きで土提をおりてきたのもその頃だった。

「太宰の死顔を見てはいけないかな」
(略)誰もが、当然手つだってみせてくれるものだろうと期待していたのである。(略)
ところが、意外なことに、三人が口をそろえて、答えたのである。それはほんとに異口同音だった。
「見ないで下さい」
(略)なぜなのか。ぼくは、あまりにも意外な言葉に驚いた。
「なぜですか」
(略)「とにかく、みないで欲しいのです」
「みせたくないのです」
(略)その言葉はぼくにとっては強烈な謝絶と侮辱のように、感じられはじめてきた。
(略)「山岸が、太宰の死顔を見ることが、なぜ、いけないのか!」
ぼくは、この三人の若者たちを相手にして、この水辺で格闘してもいいと思った。
(略)三人とも申し合わせたように、くるりと上流の方をむいて、背中なかを見せたのである。(山岸外史『人間太宰治』より)

「さて、いきなりハイライトでもある、心中事件の場面から紹介したけど、すごい迫力でしょ?」
「そうだね。その場の雰囲気が伝わってくるね」
「ここにいたるまでには、編集者である著者と太宰治との、その学生時代にまでさかのぼる長い付き合いがあったのよね」
「うん」
「昭和十五年、高校時代に、友人のすすめで、『新潮』に載っていた当時新進作家であった太宰治の『きりぎりす』という短編を読んだ著者、野原一夫は、深い感銘を受ける。次いで、単行本『女の決闘』を読むことで、太宰作品への傾倒へとのめりこんでいく…」
「うん」
「当時の太宰治は、とにかくスキャンダルだらけの、品のない作家として扱われていた面もあるのよね。それでも…」

非合法活動、麻薬中毒、精神病院、自殺、心中。そのすさまじさに私はおどろいたが、「人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。」この言葉は胸にひびいた。

「著者は、高校の文化祭の講演会に太宰を招きたいと思い、初めて三鷹の太宰宅を訪ねる…。講演は苦手と言われ、実現はしなかったが、著者は、太宰治の、飾らない、人懐っこい人柄に触れ、ますます好感を抱くのだった」

太宰さんの横顔は思いのほかに若々しく、また健康そうだった。読んだ作品から、疲れた暗い翳や、気取った身構えを、いくらかは予想したのだが、そんな印象はみじんもなかった。
(略)太宰さんはよく喋り、よく笑った。話がとぎれ、沈黙がつづくと、その白々しい気まずさに耐えられないようだった。

「大学生のとき、著者は、自分の書いた小説を、太宰治に読んでもらいたいと切望し、原稿を持ってふたたび太宰宅を訪れるのね」

太宰さんは、一瞬、まぶしそうな顔をした。ちょっと考えて、それから、
「読ましてもらう。出したまえ。」
きちんと坐りなおした。
(略)読みおわってから、太宰さんはしばらく黙っていた。(略)
「ちょっと、出よう。おい、出てくるからね」

「そして、吉祥寺のスタンドバーに並んで、酒を酌み交わし、くだけた世間話をしたのちに…」

「小説を書くというのは、日本橋のまんなかで、素っ裸で仰向けに寝るようなものなんだ。」
だしぬけに、ごくさりげない口調で太宰さんはそう言った。私は緊張した。太宰さんは少し笑って、
「自分をいい子に見せようなんて気持は、捨てなくちゃ。」
ああ、と私は、胸のなかでうなずいた。この一言は、こたえた。
太宰さんは、しばらく黙っていたが、
「文章を書くというのは、固い岩にノミをふるうようなものでね、力仕事なんだ。岩は固いほどいい。脆い岩だと、ぼろぼろに崩れてしまう。固い岩に向って」
左手を前に突き出し、その手のひらに、右手でノミをふるうような仕草をして、
「ノミをふるう。彫りきざむ。すこしづつ、すこしづつ、形が見えてくる。格闘だ。きみの岩は、すこし脆すぎたようだ。」

「著者が戦後、新潮社に就職した後は…。」

「新潮社とは、いいところに入ったね。大いによかった。老舗には、どこかいいところがあるものです。『新潮』の連載は書く。書きたいものがあるんだ。いや、これは、大傑作になる。疑ってはいけない。すごい傑作になるんだ」

「いい人じゃないの。威張ってなくて、気さくで」
「そうなんだよね。実際に触れあった若い人たちには、そうとう、慕われたらしいね。この前とりあげた田中英光とか、小山清とか…。田中英光には、『君の小説を読んで泣いた男がここにいます』と書き送ったそうだよ。こんな文句を言われた方は、そりゃあもう、舞い上がってしまうよね」
「そうだね。ちょっとセンチメンタルが過ぎるような気もするけど」
「それも、太宰治の一つの大きな特徴だよね。ここでちょっと、太宰治の主な経歴をまとめておくと、こうなるのね」

・1909年、津軽の豪農・津島家の10男として生まれる。父親は貴族院議員。乳母に育てられ、学校や使用人の間ではお坊ちゃまとして、下へもおかぬ扱いをされたが、父親および跡継ぎである長男とは明確に差別され、厳しい躾の家庭環境で育った。
・高校時代、左翼文学に惹かれるが、左翼活動への官憲の締め付けが烈しくなってきたことなどにより中絶。薬物自殺をはかるが失敗。
・東京帝国大学に入学。地元の芸者・小山初代と恋愛関係となり、周りの反対を押し切って結婚。当時、貴族院の家の出のものが芸者風情と婚姻する事は、ほとんどタブー視されていた。本家からは除籍を言い渡される。大きな衝撃を受ける。同じころ、銀座のバーの女給と心中事件をおこす。女は死に、太宰は生き残った。この事件は報道され、スキャンダルとなるが、本家の圧力で起訴猶予となる。
・大学時代、本家より仕送りを受けていたが、成績不振のため卒業できず、仕送りも打ち切られ、新聞社の入社試験を受けるも落とされる。首つり自殺をはかる。
・腹膜炎の手術を受けた際に処方された鎮痛剤バビナールの中毒になり、一日50本もの注射を自ら行う乱れた生活を送り、本家の番頭に強制入院させられる。妻・初代の不倫に衝撃を受け、自殺未遂。のち離婚。
・昭和13年、井伏鱒二の紹介で、石原美智子と井伏宅で結婚。その際井伏に「結婚誓約書」を示し、その中で「再び破婚を繰り返した時には私を完全の狂人として棄てて下さい」と記していた。
・戦後、「斜陽」の材料として日記を提供した太田静子と愛人関係となる。静子との間に生まれた治子は、のち作家となる。
・山崎冨栄と同棲。昭和23年、冨栄と玉川上水へ入水自殺。

「なんだか、すごいね。ムチャクチャな人生だね」
「そう。周りの人々の世話で、なんとか安定した生活を取り戻したと思ったら、その人々の信頼を一番でひどく裏切る形で自暴自棄なスキャンダルを引き起こしては、絶望して自殺をはかる…ってな事を繰り返しているんだよね」
「ふーん」
「で、自己嫌悪に陥っては、その際の切実きわまる心情を作品に叩き付け、芸術的ともいえる、傑作群を生み出していったとされる…んだけどね」
「うん」
「まあ、なんでか、あたしは、あまり太宰作品で面白いと思った作品は…そんなに読んでないんだから、大したことは言えないんだけど…ないんだよねえ」
「へえ」
「たとえば、『人間失格』の、この部分なんかは、共感できるんだけどね」

お茶目。
自分は、所謂お茶目にみられる事に成功しました。
(略)けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡そ対蹠的なものでした。(略)
互いにあざむき合って、しかもいづれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るいほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。(略)自分だって、お道化になって、朝から晩まで人間をあざむいているのです。(略)自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自身を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその要諦を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくてすんだのでしょう。(太宰治『人間失格』より)

「つまり、以前紹介した、サリンジャーにも似た、まあ、文学を目指す若者には往々ありがちな疎外感ってやつね」
「うん」
「この、野原一夫には、『太宰治 生涯と文学』という、これは、著者が太宰と知り合う前の、太宰の生い立ちから、本格的に論じた著書もあるんだけど、そこにはこうあるのね」

むかしの大地主の家では長兄―家長の権力は絶対のものであり、次弟以下とははっきり差別されていた。(略)いちばん奥の床の間のある部屋は(略)家長の居間で、次兄の栄治は入ることを許されていたようだが、その下の弟たちは、末から二番目の修二(太宰)はもちろんのことだが、入ってはならない部屋だったという。
(略)これだけ大きな家のなかで、(略)太宰は自分の個室を持っていなかったという。(略)
太宰が終生持っていた余計物意識と、そのような成育の環境が、無縁であったはずはない。

「へえー」
「つまり、良いとこのお坊ちゃまという貴族意識と、自分はその実誰からも必要とされていないんだ、自分なんかいなくなってしまったほうがいいんだ、という、アンビバレンツな意識のなかで、太宰は育ってきたということね」
「うん」
「それだけなら、よくある話なんだけど、太宰の場合、さっきも言った通り、悲嘆と苦悩と寂しさのあまり、極限まで暴走してしまって、突然、実家の家名を汚し、屋台骨を揺るがしかねないような、それまでの自分の生活や家族すべてを台無しにしてしまうような暴走的破滅行為へと、自分ながら抑制もきかず、落ち込んでいってしまうのね。そこが普通じゃないところで…」
「うん」
「芸者と心中を図り、二度と本家の門をくぐる事のできない勘当に近い扱いを受け、自らの手で自分をダメなほうへダメなほうへと、のめりこむように飛び込んでいってしまう…。」
「ううん」
「そして、その苦しさのなかで、自らの傷ついた心情をぶちまけるような、もがきにちかい作品を書きまくっていく…。つっぱってて、蛮勇で朗らかな人間を装ってて、そのくせ感傷家で泣き虫で…そんな太宰の人間性に、ファンの人たちはぞっこんになってしまうんじゃないかなあ」
「そんなもんかなあ」
「実家から放逐され、もはや孤独な、しかし、それなりの新進作家となってからも、こういう場面もあったそうだよ」

若い頃、不行跡のため実家からの送金をとめられそうになり、井伏鱒二さんと檀一雄さん、中村地平さんが、太宰さん同道で神田の関根屋という宿屋に長兄の津島文治氏を訪ねたときのこと。(略)太宰さんに代って仕送りの継続をお願いしたそうである。
「そのとき太宰はね、なにも、ひとことも言わんのです。きちんと正坐して、両手を膝においたままうつむいていてね。からだが震えてたんじゃないかね。まるで殿様の前に出ているようだった。」
と、檀一雄さんは私に話してくれた。

「最後まで、実家に対する怖れを持ち続けていたんだよね。それでいながら、自分は、自分が一番大切にしなければならない、その実家に泥を塗るような事ばかりしている…しかも、誰からもそそのかされてやったのではない、何もかも誰のせいでもない、自分のせいなのだ…だから、誰にも一言も抗弁できないのだ…自らを滅ぼすしかないのだ…という、自縄自縛のがんじがらめになったような心境よね」
「ふーん」
「そして、そういう罪を犯している、どうにも抗えない衝動にかられて罪を犯しつつある自分というものを、冷静に見つめているもう一人の自分もいるんだよね」
「なんだか、複雑だねえ」
「ここら辺の心理は、太宰治の精神病理、とかそういった本には、専門的な病名つきで詳述されているんだと思うんだけど、あんまりカテゴリー的に分析するのも味気ないし興味もないので、読んでないんだけどね…」
「うん」
「多分、幼児期からの、自分は誰からも愛されていない、それなのに貴族階級の一員としてふるまわなければならない、その罪悪感、追い詰められて、自棄になって、何もかも滅んでしまえ、捨ててしまえ!と自暴自棄になる心理的過程、そして、罪を犯してはその怒りの持って行きようが自分自身にしかありえない、もう、八方ふさがりの状態になる、と、まあ、こういう事を何らかの病理現象として説明してあるんだと思うけどね」
「へー?」
「まあ、あたしの勝手な思いこみだけど、太宰治の作家としてのポテンシャルというか、創作力、創造力のみなもとは、そういった自縄自縛のどうしようもなくなった果てに、脳内に分泌されるエンドルフィンみたいなものとか、そういうところから来てたんじゃないかと思うんだよね」
「ややこしいねえ」
「そう、まさに、ややこしいのよ。生活の安定を求めながら、いったん手にすると、またもや自分自身の手で、それを二度と恩人に顔向けできないような形で打ち棄てて、その罪悪感でまた、自分でも訳の分からない妄言の中にもがき苦しんでいくという…」
「はああ。なんか、わかるようなわかんないような…」
「まあ、そこらへんが、ファンというか、『感じる』人には、たまらないんだろうけどね…。でも、たとえば、あたしは、太宰治の、例えばこういうところが、ちょっと気になって、合わなかったんだよね。」

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。(略)これは、夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(『晩年』より)

「ここら辺の、各文章の末尾に、作者がうずくまって泣いているようでありながら、こっちを、チラッ、チラッと見ているような感じがしてね…。その、『どうです、可哀想でしょう?』みたいなわざとらしさが、(あ、ウザ)と思えて、どうも、性に合わなかったのよね。」
「ふーん」
「この部分でいえば、『死のうと思っていた』(チラッ)『夏まで生きていようと思った』(チラッ、チラッ)みたいな感じに見えてね」
「なるほどねえ」
「でも、太宰治は、そう見えることも、全部わかっててやってんのよね。こういう文章もあってね…」

「(略)僕は可哀想な子なのだからお前だけでも僕を捨てないでおくれ、と聞いていて浅間しくなるほど気弱い事をおっしゃって、両手で顔を覆い、泣く真似をなさいました。どうして、あんな、気障なお芝居をなさるのでしょう。(略)ご自分を、むりやり悲劇の主人公になさらなければ、気がすまない御様子でありました。(略)そうかと思うと、たいへんなご機嫌で、世の中に僕以上に頭脳の鋭敏な男はないのだ、(略)僕は天才だ等とおっしゃって、あたしが微笑んで首肯くと、いやお前は僕を馬鹿にしている、お前は僕を法螺吹きだと思っているのに違いない、(略)急に不機嫌におなりになって、(略)こんどは、ひどく調子づいて御自分の事を滅茶苦茶に悪くおっしゃいます。」(太宰治『新ハムレット』より)

「なんか、感情が複雑骨折してるような感じだね」
「『回想 太宰治』の内容に戻ると、ある時、知り合いの女性から、太宰さんが、このところ、死にたいと繰り返し言っている、と聞いた著者は、太宰宅を訪れて、こういうのね」

私は食卓をはさんで太宰さんのまっすぐ前に膝をそろえて坐った。太宰さんはわずかに目をあげて、
「きょうは、なにか、用事でも。」
「先生、養生してください。」
太宰さんはすかすように私の顔を見た。
「ぼくは、なんだか、先生が、ほんとうに死なれる気でいるんじゃないかと、なんだか、そんな気がして…先生、養生してください。」
太宰さんは、なお無言で私の顔を見つめていた。
「みんな、心配してるんです。ぼくなんかより、ほかに、もっとみんな心配してるんです。だけど、先生に面と向って言うのが、どうも、なんだか…」
つと太宰さんは顔をそむけた。唇のはしがかすかに歪んだ。その眼が小さくまたたき、いきなり太宰さんは立ち上がった。すりぬけるような身のこなしで部屋を出た。姿がかくれ、廊下にたたずんでいる気配。圧し殺しているような、低い泣声を、私は聞いた。

「平気で磊落そうに装っていても、その内心は常にズタズタに傷ついているから、ちょっと優しくされると、泣いちゃうのね。井伏鱒二の文章にも、こんなのがあるよ。太宰が薬物中毒になったとき…」

私は太宰に「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖しいことだぞ」と強く云った。すると太宰君は、不意に座を立って隣りの部屋にかくれた。襖の向う側から、しぼり出すような声で啼泣するのがきこえて来た。(略)やがて泣き声が止むと、太宰は折りたたんだ毛布を持って現われ、うなだれたまま黙って玄関の方に出て行った。入院することを決心したのである。(井伏鱒二『太宰治の死』より)

「とにかくまあ、こういう、一筋縄ではいかない、太宰治という作家に寄り添い、併走した多感な時期を記したこの本は、ちょっと他の太宰本にはない迫力と爽快感があるよね。この他にも、面白いエピソードとしては、太宰が、熱海を放蕩旅行中、宿代が積み上がってしまい払えず、同行していた檀一雄をいわば人質として旅館に残したまま、金を工面してくる、とひとり東京に戻り、檀がいつまで待っても音沙汰がなく、怒った檀が東京に乗り込み、井伏鱒二宅でのんびり将棋を指していた太宰にむかって」

太宰は井伏さんと、将棋をさしていた。そのまま、私の怒声に、パラパラと駒を盤上に崩してしまうのである。
指先は細かに震えていた。血の気が失せてしまった顔だった。オロオロと声も何も出ないようである。(略)
やや、平静を取り戻した後だったろう。丁度井伏さんが立たれた留守を見て、太宰は私に低く言った。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」
(檀一雄『小説 太宰治』より)

「と言った、友人、師匠でさえ、裏切り、自分で自分をどうあらがいようもなく追い詰めていく太宰治の特徴が色濃く出たエピソードとか、あと、若き日の三島由紀夫に会った話、そこでどんなやりとりがあったかとか、太宰の愛人となった太田静子さんや心中相手となった山崎冨栄さんの素顔の描写とか、面白い話が満載なんだよ」
「ふーん」
「まあ、あたしにとっては、太宰治本人の書いたものは、自己憐憫のアクが強すぎて、あまり読んでないんだけど、この『回想 太宰治』みたいな、軽やかに読める本は、好きなんだよね。ナマのドブロクはきつくて飲めないけど、水で割って飲みやすくしたら、おいしくどんどん飲めるような、そんな感じかな。あと若い人にとっては、太宰の入門書として、いいのかもね」
「そうねえ」
「実は今回、この記事のために、もう一度太宰を読んでみようかと思って、太宰の絶筆である『如是我聞』を読んでみたのよね。昔読んだときは、『なんじゃこりゃ』と思ったけど、今読むと、そうでもなく、逆に面白いと思ったね。」
「ふーん」
「ちょっと今回は、前回の田中英光に続いて、重ための話になってしまったね。まあ太宰だから仕様がないか。でも、この、『回想 太宰治』は、すがすがしく読めるし、冒険小説のような、爽やかな読後感を味わえるし、何より読み始めたら止まらなくなる面白さを秘めているから、若い人にはぜひおススメだよ!じゃあ、またね!」

「愛と憎しみの傷に」(田中英光)

「さあ、今日は、田中英光の続きだよ!この作者のハイライトともいえる、『愛と憎しみの傷に』を紹介するよ!」
「あのさあ、それはいいんだけどさあ…」
「なに?」
「このタイトル、ひどくない?前回の『愛と青春と生活』もそうだけど、『愛と憎しみの傷に』って…。ハナから、読む気失せるようなタイトルなんだけど」
「まあ、そうだね。この月曜書房の選集の解説で、亀井勝一郎も、『何という拙いタイトルだ!彼は題名をつけるのが本当に下手だった!』と書いているしね。」
「これじゃキワモノに見られてもある程度仕方ないような気もするなあ」
「まあ、もう、そこは割り切って、読むしかないよね。出世作となった『オリンポスの果実』にしたって、最初は『杏の実』というタイトルだったのを、師匠の太宰治が、『これじゃあまりにひどい』といって、傍らの本棚にあったギリシャ神話の本をとり出して調べ、『これにしなさい』と選んでくれたタイトルらしいからね」
「ふーん」
「まあ、タイトルは別として、この本も、内容は、むせかえるようなギトギトの、田中英光の破滅的な人生の苦悶が何重にも盛り込まれているような、すごく濃密で読み応えのある本なんだよ。前回も言ったけど、田中英光の作品って、全部でひとつというか、彼の人生を全体として語りつくすというようなところがあるから、今回も、この作品にとどまらず、この本を中心にして、色んな作品から彼の人生を拾っていきたいなと思ってるよ」
「うん」
「前回、京城でとにもかくにも結婚し家庭を持った英光は、それから、兵隊にとられたり、朝鮮文人協会の理事になったりするのね。このあたりは、『酔いどれ船』という長編に詳しいんだけど、戦時中の話は、あまり書き残していないね。『戦場にも鈴が聞こえていた』などの、日本軍の牧歌的な作品もあるんだけど、中には…」

ぼくも補充兵として召集を受け、半年足らず原隊で人殺しの教育を受けてから北支の全線に引張り出された。
(略)奴隷の軍隊としての惨虐性を中国において遺憾なく発揮した。(略)ぼくたちは、中国兵の捕虜に自分たちの墓穴を掘らせてから、面白半分、震える初年兵の刺突の目標にした。
(略)岡田という初年兵。(略)前線の惨忍な厳しい雰囲気になじめず、見ている間に痩せおとろえ精神まで異様に衰弱していった。
(略)分隊長は、岡田が剣も銃も捨て、乞食みたいな恰好でヒョロヒョロ歩いているのをみると、(略)「このド阿保が。くたばれッ。」と岡田の左耳から頬にかけ、力一杯、横なぐりした。岡田は口と鼻を血だらけにし、キリキリ舞いで、道路の真中の泥濘に大の字で倒れた。「お母さん、さようなら」岡田は虫の鳴くようにそうつぶやき、そのままビクとも動かなくなる。(略)銀蠅が群がってたかりだした。ぼくたちは岡田の死体を見棄て、行軍を続ける。(『さようなら』より)

私は度々、出征した。殺人と放火の無慈悲な戦場にいると、そんな甲羅をかぶったような妻でも、天使のように恋しく、私は帰還する度に、妻に子供を産ませた。(『野狐』より)

「そして敗戦後、生活の苦しくなった彼はひょんなことから共産党に入り、地区委員になるのね」

一九四六年四月のある蒼い黄昏―。
私が共産党選挙講演会の催される村の小学校の門前まで行くと、(略)しきりに立看板の準備をしているところだった。そのとき私は、第二次世界大戦の見透しを正しくなし得た共産主義の美しさに再び心ひかれ、敗戦の祖国を明るく再建できるものは、共産党以外にないと信じていたから、(略)「なにか、お手伝いをさせて下さい」と呼びかけた。(『地下室から』より)

「すでに作家としてそこそこの名のあった彼は、地区の責任者に抜擢される。しかし、そこで彼が見た党の人間たちは、ひねこびた、小狡い、小悪党ばかりだった…彼は、それでも我慢を続けるが、蔭口をたたかれ、糾弾されて、ボロボロになって党を飛びだす。主義は信じられるが、人間が信じられない、と、呟きながら」
「うん」
「彼は救いを求めて夜の街を、小説に出てくる天使のような女を求めて放浪するようになる…」

亨吉(註・英光の小説上での仮名)は、昨夜からの遊蕩の惰勢で、渇いたように酒が飲みたかった。いや、本当は、(略)例えば、シャルル・フィリップの描いた「ビュビュ・ド・モンパルナス」中のベルトのような、可憐な、真物の暗黒天使に会いたかった。(略)真っ直ぐ、浮浪児と暗黒天使のうようよしていると聞いた、上野の山にいってみようと思った。(『暗黒天使と小悪魔』)

「そんな毎日のなかで、ひとりの売春婦と出会う…」

桂子の過去を私はよく知らない。私は桂子と街で逢った。けれども普通の夜の天使と違った純情さと一徹さがあると信ぜられた。
(略)彼女は包まず、自分の恥ずかしい過去を語り、流涕し、しかも歓喜して私の身体を抱いた。(略)彼女がいっさい、包まず、自分の過去を語ったと思ったのは私の錯覚である。しかし少しでも、自分の醜悪な過去を私にみせてくれたのは、私にとって救いであった。
(略)桂子は、前に同棲していた異国人のおかげで、バラックながら一軒の家を持っていた。私はそこに転がりこんだ形になったのである。
(略)酔うと酒乱になる桂子と喧嘩する度に、(略)妻子の田舎に逃げ帰るのだが、そこで、妻の表情のかたい、甲羅をかぶった無言の軽蔑に出会うと、死ぬほど桂子が恋しくなり、また彼女のもとに逃げ帰ってしまう。
(略)彼女のためなら、自分の文学も、自分の一生も、不憫な子供たちも、いっさい、失ってもよいとまで思い詰めていた。しかし、(略)桂子の物欲の強くなっているのにはかなり悩まされた。(略)
「わたし、着物も欲しいし、うんと贅沢させてくれなくてはイヤ、ネ、女の虚栄というものを理解して頂戴」
ああ、これが私との逢いはじめに、私がボロボロのジャンパーに軍靴をはき、「ぼくは身なりをあまりかまわない男ですよ。それに貧乏作家で、あなたに贅沢をさせられないかもしれない」といったのに対し、やさしく、「ええ、あなたの愛情さえあれば、わたし、なんにもいらない」と答えた女なのだろうか。
(略)今は、店の同僚の女たちの衣装がみんな数十万円のものを身につけてると羨ましがり、自分にもそうした装身具を買ってくれとねだるのだ。私は死にたいほど悲しい気持ちで、彼女を抱いて眠っていたのに。(『野狐』より)

「つまり、体のいいカモにされていたのね。しかも、彼女は亨吉の留守中にも売春行為をこっそり行う、生っ粋の、莫連女だった…」

彼女が(略)三夜ほど外泊し、その度に、分厚い札たばを持ってきて、貯金したという話をきいて、私は愕然とした。(略)その後で、私は彼女に万という貯金のあるのも分った。
(略)殆ど居たたまれぬ思いで、もう一度、桂子の家を出て、姉のもとにいった。
(略)だが、その妻の勝ち誇った顔は、私の胸の傷をなお深くえぐった。(同)

「主人公は、女が再び街頭に立たずとも済むようにと、心を砕く…」

(略)都合できた五万円ほどの金で、女に、池袋のSマーケットに一軒の飲み屋を買った。
(略)自分の知人を、女の客にし、商売させれば安心できると思い、(略)学生の家主に挨拶にゆく。
(略)店に戻り、鍵をかけ、女とふたりだけで寝た。酔った女は自分から僕に挑みかかるほど情欲的で、狭い部屋、電灯の薄暗さが、僕たちの肉体を哀しいほど挑発した。(『聖ヤクザ』より)

「しかし、その店は儲からず、二、三度開いただけで閉めてしまう。あげくに、家主によって占拠され、パンパン宿として使われ、三人の女に一回五千円で外人客を取らせたうえで、家主は、桂子には、『管理料をよこせ』と、脅しをかけてきた。」
「うん」
「なにもかも上手くいかず、女はその度、姉の家の離れに居候している亨吉のもとに泣きついてくる。しかも、別れるなら慰謝料よこせ、と、泥酔状態で叫ぶ」
「ううん」
「とうとう別れる決心をして、金をもって、姉を伴って女の家を訪ねると、女から恋文を渡される」
「うん」
「号泣する女の姿に、亨吉は同情する。姉は、『それがあのひとの手よ』とさとすのだが…」
「うん」
「心配して数日後、亨吉が女の家を訪ねると、留守番の老女から、女は社交喫茶に通い、そこで売春行為を繰り返すようになっていたという。(それもこれも、自分のせいだ)と思った亨吉は、ますます女から離れられなくなる…」
「無限地獄みたいな展開ね」
「主人公も自棄になって、睡眠薬中毒へのめりこんでいくのね。とうとうある時、女と大喧嘩をした亨吉は…」

はじめぼくは正坐し、頭を下げて謝り、どうにかして桂子の怒りをときたいと努めた。だが酒乱の時の彼女の特徴で、こちらがどうでようが、自分の気の済むまで、ぼくを侮辱しなければやめない。ぼくも朝からアドルム三十錠も飲んでいたので、じきに前後の見境いなくカッとなり、その愛情がかえってひどい憎しみに転ずると、
「出て行けというなら、出てゆくとも。しかし俺の買ってやったものはみんな、ぶっ毀してゆくんだ」」
と立ち上りざま、(略)彼女の気に入りらしい、等身大の鏡台に素手で一撃を与え、鏡面の倒れるのをわざと硝子の割れるように箱の角に更に叩きつけた。
「重道さん、またあんたは汚ないことをしだしたのね。なんだい、これっぽっち、あれこれ買った位で、わたしの損が取戻せるものか。どうせ淫売扱いするなら、それでもいいわよ。ね、一昨年の暮から同棲したのを一日千円の割で払って頂戴。どうだい、払えやしないだろ。汚ない男だね。出て行けといったら出てゆきな」
(略)イキリ立って台所に刃物を取りにいったぼくの身体に、桂子が烈しく絡んできて、
「いけない。この上、品物を毀す積りなら、わたしを殺して頂戴」
「貴様なんか殺すもんか。その代りに、包丁一つで、こんなバラックぶち毀してやる」
(略)刺身包丁を掴んだ右手に、桂子の身体がつき当ったのをつき払った覚えがある。次には桂子がぼくの眼前に力なく倒れ、
「重道さん、あたし、お腹をつかれたから、死ぬわよ」
しかし血が見えぬのにぼくは安心し、彼女の身体に馬乗りになり、
「畜生、芝居をしやがるな。死ぬんなら殺してやろうか」
と、顔をぶち、傷つけた腹をギュウギュウ圧したので腸がとびだし、あとの手術に骨を折ったという。
ぼくはそんな桂子がいつの間にか家に姿をみせなくなったのに気づき、(略)散乱した部屋に横になり、暫く眠っていた。
すると玄関の戸があいたのに起き直ると、顔見知りの近くの交番の警官で、
「どうした、坂本さん、ぼくがあんなに注意してやったのに、自分で奥さんを刺したりしては困るじゃないか」
(略)電車路傍の交番まで同行される。ぼくはその時、ぼくたちの不道徳な生活に好意を持たなかったらしい近所の人たちが黒山のように集り、ぼくに憎悪と軽蔑の視線を注いでいるのに気づき、一層絶望的な気持になってしまう。

「拘置所に入れられた主人公は自殺を図ろうとするが、同房のものに止められてしまう。翌日、有名文士のスキャンダルは、新聞紙上にでかでかと載せられた…」
「まさに、地獄絵図ねえ。最初の、ボート部をやっていたころの爽やかさと、えらい違いだね」
「そうだね。主人公は、精神病院に入れられ、事件は結局、不起訴になるんだけど、世間からは白い眼で見られ、作家としての名声も、地に落ちた状態となった…。それでも」

ぼくは後先も思わず、桂子に恋文を送り、また彼女からも例の稚拙な字でメンメンたる思いを訴えてくる恋文をもらった。

「精神病院の先生からは、(あの女は君の手に負えない。いま別れないと、君の一生を食われるよ)と忠告をうけていたにもかかわらず、ね…」
「ふーん。どこで道を踏み外しちゃったんだか…壮絶な話ね」
「ついには、こんな文章を書くことになるのね」

君たちのためにも、お父さんは一日も早く死んだほうがいい。(略)
このまま、お父さんが生き恥をさらし生き続け、お母さんや君たちに殆ど一銭も送らず、もはやアドルム中毒も治らず、(略)先輩や知人の家なども荒して行き場がなくなり、書くものもすさみはてるばかりだと、結局、ぼくも君たちも救いがたく不幸になるばかりだと実感されるからです。
(略)こうして君たちから離れていると、お父さんには、ただ君たちが恋しい、可哀想な子供たちに思えて仕方ありません。(『子供たちに』)

「子供たちのうち、一番幼い由美子を連れて、桂子の家にころがりこんだ主人公だったが、女とのまたもやの諍いで由美子を連れ出し夜の街へ入り込んでしまう…。」

薬の酔いで理性を失っていたぼくは、その夜、由美子を連れ、新宿の悪所に一夜を明しました。(略)由美子をその相手の若い娘に預け放しにし、夜の八時頃まで、友人の編集者と銀座で酒、アドルムに酔いしれていたのです。
やっと駆けつけた時、由美子は妓たちの仲間にまじり、表を通る酔客をみては、「アラオ父チャン、イラッシャイヨ」と声をかけていた。更に、彼女はどの妓も無心に、「オ母チャン」と呼んでいます。ぼくはそれに胸が痛かった。君たちにとり、どんな大人も、男はお父さん、女はお母さんと呼べる時代がきたら、それこそキリスト教としても、共産主義としても、理想的なものだろうが、無心の由美子はそれと逆の、絶望的な環境におかれながらも、平然として、そんな呼び方をしている。これにぼくはドキリとしました。(同)

「そして…」

強力催眠剤を五十錠も飲み、そのお墓まで辿りついて、左手の動脈を軽便剃刀で切ること。それが私を置き去りにした津島さん(註・自殺した太宰治のこと)や、ひどい眼にあわせた女への復讐になると思うと、自分の文学や人生の敗北もかまわず、ヤモタテもなく、それを実行したくなる。(『離魂』)

一九四九年(三六歳)
(略)十一月三日夕刻、太宰治の墓のある(略)禅林寺へ行き、墓前で薬と酒を飲んだうえ、左手首を剃刀で切り自殺を図る。(略)病院にかつぎ込まれたが、同夜九時四十分、看取る肉親もなく息を引きとった。
(太宰治の)墓前には、新潮社版太宰治集の朱の扉に、鉛筆で、覚悟の死です(略)とうとう再生できなかったぼくをお笑いください、太宰先生の墓に埋めてください、(略)できれば全集を編んでください、印税は子供に渡るようにしてください、と書かれていた(田中英光年譜より)
「田中英光内妻を刺す、と、去る五月の各新聞をにぎわした情痴事件のほとぼりもまださめぬ十一月三日、デカダン作家のラク印をうたれたまま、元オリンピック選手でアプレ・ゲール作家田中英光は、とうとう、恩師太宰治のあとを追って自殺してしまった。」(週刊東日の記事)

「こうして、生涯を終えてしまったわけね」
「なんか、壮絶すぎて、言葉もないね」
「そう、そして、彼はあぶくのようなデカダン作家の汚名をおびたまま、月曜書房のこの三冊の選集を出したっきり、昭和三十九年まで忘れ去られた作家になるのよね。ただひとつ、文庫版の『オリンポスの果実』だけを残して…」
「うん」
「ようやく最近よ、それ以外の作品が再評価されて、文庫で出だしたのは…。講談社文芸文庫から、『桜・愛と青春と生活』が出て、『田中英光デカダン作品集』と続き、角川文庫から、西村賢太の編集で、『田中英光傑作選』が出たんだよね」
「ふーん」
「西村賢太は、若い頃、土屋隆夫の『泥の文学碑』で田中を知り、その当時忘れられかけていたこの作家の作品を、むさぼるように読み込んだらしいね。のめり込んだあげく、『田中英光私研究』という冊子を自費出版するほどだったらしいよ」
「そうなんだ」
「昔、ヤフオクで二千五百円くらいで出てたんだけど、買っておけばよかったな。いま、古本で数万円はするんだよ」
「へえ」
「あと、『田中英光・愛と死と』(竹内良夫)と言う本も読んだな。田中は作家仲間から、なんであんな淫売女と付き合ってるんだ、と、忌み嫌われていたらしいね。女のほうは、最後には新しいパトロンを見つけて、田中をさっさと捨ててしまったようだよ。」
「そうなんだ」
「まあ、それからしばらくして、女は交通事故で死んでしまうんだけどね…あと、息子のうち、田中光二は、のちSF作家になって、父との交流を記した『オリンポスの黄昏』って本を出してたね」
「ふーん」
「まあ、今もそんなに知られた作家じゃないとは思うけど、あたしは、師匠であり有名である太宰治より、こっちのほうが面白いと思ったよ」
「そう?」
「世間的な評価は、逆なんだろうけどね…まあ、好みの問題かな。実際、太宰の親友だった檀一雄にしてからが、太宰の後期の作品より、田中のほうが優れていると言ってるし、武田泰淳も似たような事を言ってたね…いまは、さっき触れた三冊の文庫本が、どれも電子書籍になってるし、『オリンポスの果実』その他数編が青空文庫に入ってるんで、興味がわいた人はぜひ、読んでほしいな。ここで紹介した分の何層倍もの、むせかえるような息詰まるような世界が満タンに詰め込まれているから。じゃあ、またね!」

「愛と青春と生活」(田中英光)

田中英光(1913-1949)
東京市赤坂区榎坂町生まれ。早稲田大学在学中、第10回オリンピックにボートの日本代表として参加。(略)1940(昭和15)年、「文学界」に『オリンポスの果実』を発表。(青空文庫・作家プロフィールより)

大体が、文学少年であったぼくが、ただ、身体の大きいために選ばれて、ボート生活、約一ヵ年、(略)ぼくにとっては肉体的の苦痛も、ですが、それよりも、精神的なへばりのほうが我慢できなかった。(『オリンポスの果実』より)

「今日は、田中英光の『愛と青春と生活』を紹介するよ!」
「また、聞いたことのない名前だね…有名な人なの?」
「太宰治関連でかろうじて名が知れてるといった感じだね。戦後の無頼派のひとりとして、太宰治に師事した人だったんだよ」
「へえ」
「一番有名なのは、冒頭にあげたオリンピックに、ボート部の一人として参加したさいの、たまたま乗り合わせた女子選手との淡い恋ごころを綴った『オリンポスの果実』かな。これは、角川文庫から出ているし、青空文庫でも読めるよ」
「ふーん。オリンピックって、いつ頃の?」
「1932年…昭和7年の、第10回ロサンゼルス・オリンピックだね」
「へえ」
「いまでも、田中英光の代表作はと言われると、この『オリンポスの果実』を挙げる人が大半だと思うな。とにかく、さわやかで、清新な感覚にあふれた、健康的な小説なんだよ」
「ふーん」
「でも、こんな一面もあったんだよね」

私たちが、第十回オリンピックで、米国にいっていた頃は、丁度、祖国と中国との」間に、満州事変の戦われている最中だった。
(略)私たちは、平和の私設として、米国に送られ、(略)大いに歓待されていたのだが、その一方、祖国が、中国を暴力で侵略しており、(略)私たちを、この上なく、混乱した気持ちにつき落とすのだった。(『青春の河』より)

「本当は、この『オリンポスの果実』のほうが、有名だし、完成度も高いしで、こっちを取り上げようかとも思ってたんだけど」
「うん?」
「あたしにとっての田中英光というと、やっぱり、後期の荒れた生活を赤裸々に描いた、それ以後の小説のほうが、印象深くて、面白くて…で、そっちにしたのよね」
「荒れた生活?」
「そう。おいおい語るけど…。戦後無頼派の代名詞ともいえるくらい、すさんだ生活を送っているのよね」
「へえ。それが、いま持ってる、その三冊の赤い本に書かれてるの?」
「そうね。これは、戦後に出た月曜書房の選集三冊本なんだけど…さわやかなのは、第一巻の『オリンポスの果実』ほか数編くらいで、あとは、もう、壮絶といってもいい実録小説になっているのよね」
「実録?」
「まあ、私小説よね。私小説のなかでも、あたしが『繰り言小説』とでもいうようなくくりで呼んでいる一群の作品群があるんだけど、田中英光の小説なんか、その最もたるものだよね」
「ふーん。それは、どういうものなの?」
「酒と女と睡眠薬におぼれ、行く先々で問題を起こす、生活を破壊し、ついには自分自身をも抜き差しならないところに追い込んでしまう、といった感じのものね。結婚して子供もいるんだけど、家庭を顧みず、ひたすら自己を快楽と破滅の狭間になだれ落ちるように突進してしまう、というような感じね」
「ええ?狂ってるんじゃないの?」
「まあ、そういったすさまじい一生を送った人であり、その記録が、彼の残した小説であるわけよ。世間からは、狂人扱いされ、昭和二十四年に亡くなっているんだけど、死後もジャーナリスティックな興味のみから語られ、この選集が出たほかは、昭和四十年になるまで、全集も出なかったのね。完全に色物あつかいされてたって事だと思うな」
「そうなの?」
「うん。話題に登るときも、ああ、あの太宰治の弟子の…という感じで、主語が完全に太宰治なのね。ようするに、取るに足りない作家だと思われてたわけよ。でも、あたしは、なんでか、太宰治よりも、こっちのほうが、好みなんだな」
「へえ」
「まず、描写が息詰まるほど濃密なんだよね。微に入り細に入り、その時代、その環境に読者がまるで、居合わせたかのような体験をもたらしてくれる。作者の息苦しさ、焦燥感、絶望、そういったものがビンビン伝わってくるわけよ。これは、師匠である太宰治を完全に超えていると思ったね」
「ふーん」
「その息詰まるような凄絶な記録が、この三巻の選集には、ギチギチに詰まってたわけね。これには、あたしも圧倒されたな」
「へえ」
「そこにはこの作家の、救われない一生が、濃縮されて暴露されていたわけよね。今日はその中から、前半部にあたる部分を紹介しようと思って」」
「ふーん」
「で、家庭をかえりみない、破滅型の人生を送った英光だけど、この『愛と青春と生活』は、その、生涯にわたって仲の悪かった奥さんと,初めて出会ったときの話を書いているのよね」
「そうなんだ。なかなか、複雑だね」
「話をオリンピックに戻すと、ボート部は、結局予選敗退という形で日本に帰還することになるのだけど、折しも起こっていた満州からの帰還兵の凱旋記事と共に、並んで、ジャーナリズムをにぎわすのに、苦痛を覚えるようになった…そして、ボート部内の派閥の内紛に嫌気がさしたのをきっかけに、退部してしまうのね」
「うん」
「そして、大学卒業後、横浜ゴムへ就職、当時日本領だった朝鮮の京城へ赴任する…このあたりから、田中英光の彷徨が始まって来るのね」
「彷徨?」
「田中英光には、文学でこの世を、そして我が身を救いたい、自分にかかわるすべての人に幸せになってもらいたい、そのためには、身を捨ててでもこの世に奉仕したい…という、強い憧れがあったのね。そしてそれが、彼の心を駆り立て、人生をゆがんだものに変質させていく…」

そのとき私は二十三歳、そのとき私にとっては未知のものにおもわれていた世の中のあらゆるものを焼けるような好奇心でむさぼりつくしたかった。(略)ジードの「地の糧」の冒頭の一句―ナタニエルよ、神をいたるとおころに見出そうと冀わねばならぬ、という一句を心におもいうかべていた。そのころの私には、女にも、名誉にも、酒にも、神がひそんでいるようにおもわれた。(『愛と青春と生活』より。以下同)

「立派な心掛けじゃないの」
「そうなんだよ。この向上心というか、ひりひりするような渇望心は、田中英光の作品全体を通して、一貫してるのね。しかし、性急に理想を追いかけるがあまりに、周りとの確執を生んでしまう…そこに、この作家の悲劇があるのね」
「へえ?どんな?」
「それは主に仕事や、同僚へのなじめなさ、文学で身を立てたいという餓えから、モーパッサンやゾラ、鏡花や荷風に憧れて、夜の街へ耽溺するところから始まるのね」

なぜならその人たちの気持は、月給が少しでも上がること、同僚を少しでも追いぬきたいこと、もの笑いにならぬ程度にできるだけ物質的な快楽をむさぼりたいこと、まアこの程度のもの以外にはなにもないのにかかわらず、(略)お互いにこれみよがしの機智や皮肉のやりとりをする、こうした厭らしいわざとらしい会話の仲間入りをするのが、学校を出たての私には我慢できないほど辛かった。
(略)いわゆる商売の駆引と称して嘘をやたらにつかなければならない。
(略)いかにも社会の多くの人たちにとって有害無益な、蛆虫のような汚ならしい存在かが身にしみて実感される(略)
またその頃の私はどんな娘さんでもよい、やさしくてきれいでりこうな娘さんが一日も早く、私の恋人として面前に現われぬかとあせっていた。

「彼は、朝鮮逓信局のボートのコーチもしていたが、その仲間と夜の街で遊ぶ以外の時間は、京城の陋屋ともいえる古ぼけた下宿で小説を書いていたのね。しかし、下宿には、小役人か、でなければ性格破綻者の酒飲みしかおらず、友人になりたいと思う人間はいなかった。唯一、会社の同僚の奥さんだけが、彼に優しくしてくれた。まるで姉のように彼に接してくれる。それだけが、日常の中の唯一のうるおいだった。」
「うん」
「そんな索漠とした毎日を送る中で、彼は、ある事件に巻き込まれる。指導しているボート部がレガッタで優勝し、その祝いで夜の街に繰り出した」
「うん」
「そこで、料亭の女たちと仲良くなり、人力車で帰っていく女を見送っているときだった。傍らにいた職人風の男から、野卑な野次が飛んだ。カッとなった英光は、その男をなぐりつけてしまう」
「うん」
「相手の男は鼻血を出して倒れかかる。助け起こしてやろうとした英光は、いきなり、七、八人の男の仲間に囲まれ、袋叩きにされてしまう」
「ふーん」
「それで逃げ出した英光は、ふと、自分の腕から大量の血が流れているのに気がつくのね。刃物で斬られていたわけ。酔いが回っていたので、痛みはそれほど感じなかったが、とにかく病院へ駆け込む」
「うん」
「それで応急処置をしてもらったものの、翌日になり、悪寒と高熱、激しい痛みに襲われ、会社を早退し、下宿で寝込む。それでも収まらず、ついに意識朦朧となり、下宿の女将により、病院に自動車でかつぎこまれる」

(略)「これは丹毒じゃ。(略)」肉を三寸ばかりたてに切って(略)溜まりぬいていた膿をながし、さらに毒菌のついた肉を小さい熊手のような道具でがりがり乱暴にむしりとるのであった。(略)そのときの痛さはさすがに骨身に徹して私は額にいっぱい油汗をかいていた。

「そして絶対安静の身となった英光は、不仲となっていた内地の兄に入院費などの差し入れを請い願う手紙を書くが、帰ってきた返事は、お前の自業自得だという、つれないものだった。ただ母だけが、金を送ってくれた。」
「うん」
「そして、入院生活が始まる。さまざまな患者たちの中に、犬に噛み殺されそうになって、入院していた中川申二という男の子がいた。」

「(略)退屈だったらなにかお話してあげようか」(略)八犬伝の一節、(略)うろ覚えのまま話してきかせると、(略)夢中になって私の話に聞きほれてくれていた。
(略)話し終え、さてじゃアと立ち上がって帰ろうとすると、(略)三十年増がこのときひょいと顔をあげて、「あらまアもっといらっしゃいよ、もうすぐ坊やの姉さんもみえるからさア」と、(略)ぺろりと赤い舌をだしてみせた。
(略)ドアがすッとあき、紅いベレー帽をかぶったセーラー服の少女が澄ました顔ですッと入ってきた。(略)「申ちゃん今日どうですの」そのおどおどしたようなしわがれた声もそのときには妙に哀れに美しく聞えた。「あのね、今日はこのお兄さんにお話して貰ったの」
(略)だいたいロマンス狂の私は、どんな娘にも一応、私の空想している久遠の女性のベールをかけてながめて、そのベールがなにかリアルな問題で剥がれ落ちるまでは、むやみにその娘を好きになるのが常だった。それで私はその申二の姉、中川八重子に母の家計を助けている美しい真面目な娘というだけの、観念の眼鏡をかけて眺めていると、彼女がますます申し分ないものに思われるのだった。

「そしてその中川八重と話をする機会もあったが…」

彼女の映画や小説にたいする趣味の低さもわかり、本気で嫁に貰う気持ちはなくなっていたが、それでも彼女とその後もつづけてつき合いたい気持ちも強かった。(略)それ以上親しくなることもないうちに、私には退院の日がやってきた。
(略)ひょっこりと申二や八重子の母親のおみきが私を尋ねてきてくれた。(略)「ほんとにまあ申二がお兄さんお兄さんとしたっておりますのよ。(略)退院なさったら、汚ないところでございますが、ぜひ一度お遊びに」

「丁度見舞いにきていた下宿のおかみは、「京城はね、植民地でしょ、だからね、ここにきている日本人のなかにはどこの馬の骨ともつかない悪いのがいて、坂本さんなんかちょろりと騙されてしまうから用心しなけりゃ駄目よ」と言う。それきり、八重子とは会うこともないはずだった。ところが…」
「うん」
「社内のタイピスト、江原暁子とデートの約束などして、それなりの期待もするが、正月のある日、孤独でたまらず、不意に外へ出た英光は…」

ちょうど仔狐が親の巣穴にもぐりこみたがるように、なにか家庭的な雰囲気が欲しくてならなかった。それで本町の入口までくると私はふッと旭町の中川八重の家にいってみようかと思った。(略)気持次第でただ外側からその家を眺めて帰ってきてしまうつもりで、(略)路を登っていった。
(略)そこに四、五人の男女の子供たちが陣取りかなにかしているのをぼんやり見ていると、いきなり、「お兄さん」と飛びつく子供がいたので振返るとそれはまだ入院中とばかり思いこんでいた申二だった。(略)「お兄さん、うちにおいで」とまだ繃帯している手で私の手にぶらさがるようにした。それが私には嬉しくて、「ああ行くともさ」と(略)彼の家に入っていった。

「坂本はお屠蘇をふるまわれ、八重の母のおみきから、身の上話を聞かされる…。こうして、一家ぐるみの付き合いが始まる…。おみきは、八重がいかに気立てがよく、苦労してきているかを語ってきかせるのだった。しかし、八重の存在は、すでに坂本と付き合いのある新設な同僚の奥さんたちにとっては、うさんくさいものに映っていた。要するに、彼女らは坂本を誘惑し、娘を押しつけようとしているのだ、という。」

だがそうした夫婦がそろって中川親娘を侮辱することがかえって私を八重に近づかせた。家のため弟のために犠牲になって働いている貧しい美貌の娘、むろん客観的にいえば十人並みで美貌などとはいえたものではないが、少なくとも当時の私にはそんなにみえて、それがロマンス好みの私にはこのましく見えた。
(略)大雪で真っ青い月夜の晩に、愛していた少女やその一族のものと、メンデルスゾーンの結婚行進曲の甘い旋律をきいていると、私はなにか身内の肉のふるえるほどの強い感動をうけた。
そうして私は八重に結婚を申し込もうとそのときふっと思いついた。だいいち、それで毎日のように八重の家にやってくるときの妙なてれくささが解消できるとおもった。(略)八重という女を私はまだよく知らず、まだ結婚するほど充分愛してもいないということが、その結婚申し込みの邪魔にすこしもならないのだった。(略)どうせ私の妻として完璧な娘はいないのだ。それなら私は女房に貰ってから彼女を教育してゆくのがいちばんだ。そうしてその教育のためにも彼女のように貧しく苦労してきた娘がよい。

「そうして、下宿を引き払い、八重の家の経営する素人下宿へ引っ越した坂本だったが、しょっぱなから、八重の、それまでには見せなかったガサツさ、下品さ、醜悪さに幻滅して、また、会社のタイピストの女の子とデートをしたり、それまで行ったことのない裏町の酒場を放浪して、お気に入りの娘を見つけたりする。」
「うん」
「その酒場の女と会社の娘が喧嘩するなど、いろいろあったが、ある夜、さびしさに耐えかねた彼は。とうとう八重を抱いてしまう。」
「うん」
「その度重なる行為が、ある夜、ついに、八重の母親のおみきに見つかってしまう」
「うん」

(略)私の顔を睨んで「ちき生、殺してやりたい」といったり、「あんた方はこんな可哀想な女をだまして、いまにいいことがないから見ていなさい」とのろうようなことをいっていたが、(略)その夜は、ほとんど夜明けまで私と八重とはおみきのまえに坐らせられて、小言やら愚痴やらをきかされた揚句、私はかならず近いうちに東京の母に手紙をかき、八重と正式に結婚することを約束させられた。
(略)東京の母も(略)京城にやってきた。(略)気の強い母はおみきに向い、母娘で私を誘惑したといったようなことから、激しい喧嘩になって、おみきはまた裸足で表に飛びだすような騒ぎがあった。その暮れにようやく二十四の私と二十二の八重と朝鮮神宮で結婚式をあげたが、(略)誰も仲人のいない淋しい結婚式になった。

「以上が、『愛と青春と生活』のあらましね」
「なんか、いたたまれない感じだね」
「そうだね。このあと、夫人との間に、四人の子供ができるんだけど、夫人には、この夫より以前に深い関係のあった男性が存在していたことが、後にわかるんだよね。証拠がありながら、夫人は頑として認めようとしない。主人公は、そんな偽善的な冷たい雰囲気の家庭に嫌気がさして、家出して放浪したりするのよね。」
「ふーん」
「とにかく、こういった事情とともに、当時の朝鮮の底辺で暮らしていた人々の暮らしも活写されるのね。もう、洪水のように人物描写がわき出てきて、読んでいるこっちまで息苦しくなるくらいの…。そして、主人公の理想と絶望とが、痛いくらいに訴えかけてくるんだよ。前にもいったけど、まるで自分がその場に居合わせていたかのような迫力を持って迫ってくるのよね。これも、もう、読み始めたら、熱にうかされたように読むことを止められなくなるよね。主人公は、いったいどうなるんだろう、って気になって気になって…」
「うん」
「でもこれは、その後主人公を待ち受ける、さらに激烈な運命の、まだ幕開けにしかすぎなかった…ってなところで、今回は終りね。この続きはまた次回」
「えー?続くの?そんなの初めてじゃない?」
「田中英光の壮絶な生き方を語るのに、一回分じゃとうてい、足りなくてね…。彼の小説全体が、一個の人生みたいなものだし、彼の自伝でもあるんだよね。まあたまには、こういう続きものもいいんじゃない?今度は、同じ田中英光でも、違う作品をメインに取り上げるから。じゃあ、またね!」

「オヨヨ島の冒険」(小林信彦)

「今日は、あたしにとって、大切な、思い出の本を紹介するよ!」
「へえ、なあに?」
「これは、あたしが、小学生低学年の頃、最初に文庫と言うものを読んだ記念的な一品なんだよ!これ!角川文庫リバイバル・コレクションから出ていた、小林信彦『オヨヨ島の冒険』!」
「へえー、マンガみたいな表紙だねえ。いかにも子供が喜びそうな…」
「そう、そして、この、印象に残る、タイトルでしょ?これは面白そう、って、手にとって読んでみたら、あまりの面白さに、もうびっくりして、夢中になったわけ。それまで子供向けのホームズとか世界の名作なんかを読んでたけど、これは、けた違いに面白くて、この本があたしの本好きの性格を決定づけたようなものだったね」
「ふーん」
「よく子供が、自分だけの宝箱、とかいって、気に入ったオモチャやビー玉みたいなものを大切に持っていることがあるでしょ?この本は、あたしにとって、まさにそんな一冊になったわけね。大事にして、当時、何べん読み返してたかわからない。」
「うん」
「今回、ここで取り上げるに当たって、久しぶりに読み返してみたのね。そしたら、まあ、確かに、時代を感じるとこもあるけど、それに、子供むけだから、大人の眼で見ると、食い足りないところはあるけど…それを差し引いても、やたらめったら面白い本だった!それで、この童話ともいえる子供むけの本を、大人の小説と同列に、ここで徹夜本として紹介することにしたわけ。まあ、薄い本だから、徹夜というほど読むのに時間はかからないんだけどね…」
「へえー」
「それにすごいことに、今の、流行り真っ盛りの、ラノベ群にくらべても、ダントツに出来がいいんだよね。文章も、オハナシも…。ここはひとつ、大人も童心に帰って、初めて本と言うものを、文字というものを読む幼児のような心で接してほしいな。まあ聞いてよね。こんな感じではじまるのね」

あたしって、すごく、不幸な星の下に生まれたんじゃないかと思う。
だいたい、うちのパパは、かってすぎる。それとも、よそのパパも、ああなのかな?

「主人公は、小学五年生の女の子、大沢ルミ。放送作家のパパと、ママの三人家族。パパのことを、てんで低俗、『急にニコニコするかと思うと、「こら!」なんて怒るし、なんだかよく分からない』とか言っているイタズラ好きの少女だが、自分では、大して悪いことはしていない、とつねづね思っている」
「うん」
「この子のおこしたさまざまなイタズラで、学校の先生や、パパたちはてんてこまいするのね。」

あたしは、ずいぶん、おしとやかなつもりなんだけど、みんな、あたしのことを、イタズラだって言うのは、なぜかしら?
それは、あたしだって、たまには、イタズラをするわ。(略)
…タバコ事件は四年のときだったわ。
あのときだって、ジュン・ナマが悪かったんだ。(略)
「でもよォ、火薬は、すごく少ねえよ」って、ジュン・ナマは言いはったのよ。
それで、つい、あたしは、花火を真ん中に仕掛けたタバコを、先生の吸いかけのハイライトと、こっそりすりかえたの。(略)
しばらくすると、教員室のほうで、
―ズドーン!
という音がして、まもなく、救急車がきたようだったわ。(ジュン・ナマがあとで白状したんだけど、彼、火薬の量をまちがえたんですって)
先生のあのハンサムな横顔に異常がなかったことを祈りたいわ。だって、その先生は、それっきり、よその学校へうつられたので、どうなっちゃったか、まるでわからないの。おかげで、あたし、パパといっしょに校長先生の前に呼ばれちゃった。
(略)あのとき、天井からジュン・ナマが落ちてこなかったら、あたしたちはどうなっていたかわからない。
ジュン・ナマは二階の床のすみから天井にもぐりこんで、あたしのしかられてるとおころをにやにや見ていたにちがいない。ところが、どっこい、ぎっちょんちょん(略)梁から足をすべらせて、ベニヤ板の天井から落ちてきたのよ。
ものすごい音がして、校長先生はひっくりかえっちゃった。
(略)でも、さすがは、ジュン・ナマ、ぱっとトンボ返りをして、
「あねさん、ごめん!」
て、あたしたちの方を片手でおがんで、外へとび出して行っちゃった。
(略)結局、泥棒が落ちてきたってことで、ケリがついたのだけど、パパは、信じられないみたいだった。
(略)「イタズラなら、かわいくやっておくれ。それに、おまえには、あの学校は少し下品なんじゃないか」
「そんなことないわ」
「しかし、おかしいなあ。泥棒はおれたちをおがんでいったぞ」

「うん、面白いね。」
「でしょ?これが、プロローグというか、まだまだ序盤なのよね。それなのに、この密度の濃さ。こんなギャグ調のハリセンをバンバン叩きつけるような調子で全体がおおわれているのよね」
「へえ」
「ある日、学校の帰り道、ルミは、土管の中から出てきた何とも変な二人組の外人、ニコラスとニコライと出会うのよね」

「あんたたち、あたしを誘拐するつもり?」
「ずばり、当たりました」
(略)「あなたがた、ピストルを持ってるんでしョ」
「ウヒウヒ、またもや、当たりました!」
「もう一問で、海外旅行ですよ」
(まるで、クイズをやってるみたい。この二人、きちがいじゃないかしら…)
(略)(この連中は、何者だろうか?ためしに誘拐されてみようか?)
(略)誘拐されてもいい、なんて思ったのは、学校へ行きたくなかったからだ。(略)
「でも、それには条件が三つ、あるの」
「それ、どういうの?」
「一つ、あたしの身の安全を保障すること」
(略)「もう一つ、冬休みにはいる日に、うちへ帰すこと」
「え?」
「あと一つ、最上の待遇をすること。…つまり、食前食後にアイスクリーム。乗り物はグリーン車…」

「こうして、誘拐?されたルミちゃんは、新幹線のなかでアイスクリームやプリンを食べ続け、二人の誘拐犯をこきつかいながら珍道中をきめこむわけね」
「うん」
「しかし、二人の背後に謎の組織があることに気付き、気が変って、とつぜん駅のホームから飛び降りて逃げ出す。それを追ってくるふたり。ルミちゃんは通りがかりのタクシーに飛び込む」

「おばあさんが死にそうなの、大急ぎ!」(略)急にスタートした。
「ゆうべ、徹夜して、眠いんや」、
運転手が言った。
「でも、あんたは、一番めのお客さんやからな」
悪い予感がした。
「おじさん、きょう、開業したの?」
「へえ。なにしろ、やっと免許とれたんや」
「じゃ、運転は初めて?」
「じょうだん言わんとき。そのまえに、三年、無免許運転して、いちども、つかまってまへん」
あたしは戦慄した。
「だ、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶでんがな。こう見えても、あまり、人はひいてないさかいに。ひとり、ふたり…それから、ゆうべのお通夜のぶん」
(略)二人組の乗ったタクシーが真うしろに、いる。
「おじさん、お願い、うしろの車の二人、悪い人なの。できるだけ、とばして」
「あんたも変った子やな。悪い人に追いかけられて、おばあさんの死に水とるのか。ややこしいな」

「ルミちゃんはまだ工事中だった大阪万博会場へ逃げ込む。追いかけて来る二人。その中で、外国パビリオンの展示館から、人食いライオンを解き放ってしまう。ライオンに追いかけられる3人。騒ぎを聞きつけ、やじうまやテレビ局が集まって来る」
「なに?そのメチャクチャな騒ぎ」
「二人組の男は、広場の塔によじ登って逃げ、その様子をテレビが中継する」

(略)「ライオンに追われた二人の男は、塔によじ登っております。彼等の手は凍え、やがて、落ちるかもしれません。そのスリルにみちた30分を、皆さまとともに、楽しみたいと思います。ガードマンがライオンをつかまえるのが早いか。二人の男がライオンに食べられるのが先か。―レッツ・ゴー、万博アワー」
「ルミさん、あなたは、泣いてください」」
ディレクターがあたしに言った。
「どうして?あたし、こわくないわ」
「そうしないと盛り上がらないのです。さあ、ウソでもいいから、泣いてください。日本じゅうの人があなたを見ているんです」
「カメラ、きますよ。ハイ!」
あたしは、さかんに泣いた。
(略)週刊誌の見出しが見えるようだ。―大型ライオンと戦った大沢ルミちゃんの勇気!
(略)まわりが妙に静かになった。あたしが顔をあげると、アナウンサーがふるえていた。
そのはずよ。カメラのまわりにはだれもいなくなって、ライオンがアナウンサーの靴を、大きな舌でなめているんだもの。

「こんな感じで、ずっと続くのよね。でも、まだまだ序盤なの。危機を脱したルミちゃんは、今度は、中華街で、パパが誘拐されるという事件に巻き込まれるの。誘拐犯は、〈ビバ、オヨヨ〉という謎の言葉を残していく…。そして、横浜港の埠頭で、ドラム缶に入れられて、殺されかけてたニコライとニコラスを助け出し、こんどは味方として、『組織』のあとを追うことになる…」
「ふーん、それで?」
「ルミは、ママから大沢家のあるヒミツを明かされる。死んだと聞かされていたルミの祖父は、実は生きており、隠棲して孤島にひきこもっているが、昔は有名な科学者だったという」
「うん」
「ルミと二人組は、その島へ向かい、祖父と対面する。しかし、敵の潜水艦が浮上してきて、4人を拉致し、秘密基地〈オヨヨ島〉へ連れ去ってしまう…。」
「へええ」
「その中で現れた珍妙な艦長のルドルフ、たいこもちのイッパチ、彼等のみょうちきりんな言動にあきれながら、ついにあらわれた首領の〈オヨヨ大統領〉との対面にいたる…」
「なんか、ついてけないなあ」
「何でも、祖父の大沢博士は、第二次世界大戦時、原爆の研究をしていたらしいのね」

「きみの原爆は、あとネジ一本で、完成するところだった。…しかし、きみは、自分の作りだしたモンスターのおそろしさにおびえて、完成しなかったのだ。(略)」
(略)「海賊のルドルフをやとって、東京湾の底に沈んでいた原爆の全部品を回収させたのさ。それを、うちの組織の研究所で組み立てさせた。三年かかって、ようやく完成したが、やっぱり、ネジが一本、たりないらしい」

「さあ、牢屋に入れられたルミたちの運命やいかに?その脱出作戦とは?ってとこで、紹介は終わり。あとは、本を読んでね!」
「いつもいいとこで終わるんだからあ」
「そうでもしないと、ここの記事、どれも、ただの著作権違反のお尋ね者になっちゃうからね。できるだけ、かんどころだけ〈引用〉という形で紹介して、せいぜい本の宣伝に役立つようつとめないとね。」
「まあ、でも、そんじょそこいらのユーモア小説とは一味違う、ナンセンスなお話だってことはわかったよ。文章も、変にてらってなくて、スピーディだね」
「そこがまた、いいんだよね。これは、小林信彦の作品、全部に言えることなんだけど、できるだけ、持って回ったような文章や表現は避けて、直截的に、映像として読者の脳へはっきりとしたイメージを叩き送り込むような、効果的な文体を、この作家は持っているのよね」
「うん」
「それも、作者はきちんと考えたうえでやっているんだよ。別の作品…『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』は、探偵夫婦の活躍を描いた小説なんだけど、作中にこういう一節があってね…」

神戸は坂の多い町である。
わかってまんがな、などと言ってはいけない。こういう一行がないと、小説にはならないのである。(略)
神戸は、という三文字で、夫妻が神戸に着いたことを示し、坂の多い町である、で、二人が坂を眺めているかのようなイメージを読者にあたえようと作者は心がけているのである。この簡潔さを買っていただきたい。

「作者は半ばふざけて書いてるけど、これは、大事なとこなのよね。ユーモア小説でも、マジメな小説でも、エッセイでも、この姿勢は一貫しているんだよ。その結果、一行、一行が、映像的に、脳幹にビシビシ突き刺さってくるような快感を味わわせてくれるってわけ。華麗で微に入り細に入りの修飾語過多の文章が好みの人には、物足りないのかもしれないけどね」
「うん」
「あたしは、小林信彦の文章のほうが、心に突き刺さりやすいし、娯楽小説にしたって、純文学にしたって、理想的な文章だと思うけどなあ。」
「それでお姉ちゃんの本棚って、やたらこの人の本が多いのね」
「そう、一冊を除いて、全作品を読んだと言えるよね。コクのあるこういう文章で中身の濃い小説やエッセイを読むことくらい、読書の楽しみを味わわせてくれるものはないね」
「その一冊って、何なの?」
「それは、『クネッケ博士のおかしな旅』っていう、薄い絵本なのよね。なかなか見かけない本だけど、古本屋で買うと数万円の値段がついているの。ちょっと中身をチラッとみたところ、オヨヨ組織、という一節が見えたから、これも、オヨヨ大統領シリーズの一編なんだと思うな。ぜひ読んでみたいんだけど、なにせ、値段がねえ…」
「ふーん」
「小林信彦については、他にもいろいろと紹介していきたい本があるから、またの機会に語るね。『オヨヨ島の冒険』は、一時期絶版だったんだけど、今は、角川文庫で普通に手に入るみたい。ちょっとノスタルジックでナンセンスな気分にひたりたい人は、おススメだよ!あと、小学生にあたえたら、読書フリークになっちゃうから、そこは覚悟してね!」
「そりゃ大変ね」
「そうそう、この本の冒頭に、実にぴったりな識語が書かれているんだよ」
「へえ、どんな?」
「パパやママが買ってくれる童話がさっぱり面白くないといって、拗ねている子供たちに―
いつまで経っても〈おとな〉になりきれないパパやママに―っていうね」
「ふうん。さりげないようでいて、自信にあふれているような感じもするね」
「この本の価値を見事に表している、これも名言だよね。すくなくともあたしは、この本のおかげで、こうなってしまったようなもんだからね。興味がわいた人は、子供心に帰ったつもりで、ぜひ、読んでみてね!じゃあ、またね!」