「愛と青春と生活」(田中英光)

田中英光(1913-1949)
東京市赤坂区榎坂町生まれ。早稲田大学在学中、第10回オリンピックにボートの日本代表として参加。(略)1940(昭和15)年、「文学界」に『オリンポスの果実』を発表。(青空文庫・作家プロフィールより)

大体が、文学少年であったぼくが、ただ、身体の大きいために選ばれて、ボート生活、約一ヵ年、(略)ぼくにとっては肉体的の苦痛も、ですが、それよりも、精神的なへばりのほうが我慢できなかった。(『オリンポスの果実』より)

「今日は、田中英光の『愛と青春と生活』を紹介するよ!」
「また、聞いたことのない名前だね…有名な人なの?」
「太宰治関連でかろうじて名が知れてるといった感じだね。戦後の無頼派のひとりとして、太宰治に師事した人だったんだよ」
「へえ」
「一番有名なのは、冒頭にあげたオリンピックに、ボート部の一人として参加したさいの、たまたま乗り合わせた女子選手との淡い恋ごころを綴った『オリンポスの果実』かな。これは、角川文庫から出ているし、青空文庫でも読めるよ」
「ふーん。オリンピックって、いつ頃の?」
「1932年…昭和7年の、第10回ロサンゼルス・オリンピックだね」
「へえ」
「いまでも、田中英光の代表作はと言われると、この『オリンポスの果実』を挙げる人が大半だと思うな。とにかく、さわやかで、清新な感覚にあふれた、健康的な小説なんだよ」
「ふーん」
「でも、こんな一面もあったんだよね」

私たちが、第十回オリンピックで、米国にいっていた頃は、丁度、祖国と中国との」間に、満州事変の戦われている最中だった。
(略)私たちは、平和の私設として、米国に送られ、(略)大いに歓待されていたのだが、その一方、祖国が、中国を暴力で侵略しており、(略)私たちを、この上なく、混乱した気持ちにつき落とすのだった。(『青春の河』より)

「本当は、この『オリンポスの果実』のほうが、有名だし、完成度も高いしで、こっちを取り上げようかとも思ってたんだけど」
「うん?」
「あたしにとっての田中英光というと、やっぱり、後期の荒れた生活を赤裸々に描いた、それ以後の小説のほうが、印象深くて、面白くて…で、そっちにしたのよね」
「荒れた生活?」
「そう。おいおい語るけど…。戦後無頼派の代名詞ともいえるくらい、すさんだ生活を送っているのよね」
「へえ。それが、いま持ってる、その三冊の赤い本に書かれてるの?」
「そうね。これは、戦後に出た月曜書房の選集三冊本なんだけど…さわやかなのは、第一巻の『オリンポスの果実』ほか数編くらいで、あとは、もう、壮絶といってもいい実録小説になっているのよね」
「実録?」
「まあ、私小説よね。私小説のなかでも、あたしが『繰り言小説』とでもいうようなくくりで呼んでいる一群の作品群があるんだけど、田中英光の小説なんか、その最もたるものだよね」
「ふーん。それは、どういうものなの?」
「酒と女と睡眠薬におぼれ、行く先々で問題を起こす、生活を破壊し、ついには自分自身をも抜き差しならないところに追い込んでしまう、といった感じのものね。結婚して子供もいるんだけど、家庭を顧みず、ひたすら自己を快楽と破滅の狭間になだれ落ちるように突進してしまう、というような感じね」
「ええ?狂ってるんじゃないの?」
「まあ、そういったすさまじい一生を送った人であり、その記録が、彼の残した小説であるわけよ。世間からは、狂人扱いされ、昭和二十四年に亡くなっているんだけど、死後もジャーナリスティックな興味のみから語られ、この選集が出たほかは、昭和四十年になるまで、全集も出なかったのね。完全に色物あつかいされてたって事だと思うな」
「そうなの?」
「うん。話題に登るときも、ああ、あの太宰治の弟子の…という感じで、主語が完全に太宰治なのね。ようするに、取るに足りない作家だと思われてたわけよ。でも、あたしは、なんでか、太宰治よりも、こっちのほうが、好みなんだな」
「へえ」
「まず、描写が息詰まるほど濃密なんだよね。微に入り細に入り、その時代、その環境に読者がまるで、居合わせたかのような体験をもたらしてくれる。作者の息苦しさ、焦燥感、絶望、そういったものがビンビン伝わってくるわけよ。これは、師匠である太宰治を完全に超えていると思ったね」
「ふーん」
「その息詰まるような凄絶な記録が、この三巻の選集には、ギチギチに詰まってたわけね。これには、あたしも圧倒されたな」
「へえ」
「そこにはこの作家の、救われない一生が、濃縮されて暴露されていたわけよね。今日はその中から、前半部にあたる部分を紹介しようと思って」」
「ふーん」
「で、家庭をかえりみない、破滅型の人生を送った英光だけど、この『愛と青春と生活』は、その、生涯にわたって仲の悪かった奥さんと,初めて出会ったときの話を書いているのよね」
「そうなんだ。なかなか、複雑だね」
「話をオリンピックに戻すと、ボート部は、結局予選敗退という形で日本に帰還することになるのだけど、折しも起こっていた満州からの帰還兵の凱旋記事と共に、並んで、ジャーナリズムをにぎわすのに、苦痛を覚えるようになった…そして、ボート部内の派閥の内紛に嫌気がさしたのをきっかけに、退部してしまうのね」
「うん」
「そして、大学卒業後、横浜ゴムへ就職、当時日本領だった朝鮮の京城へ赴任する…このあたりから、田中英光の彷徨が始まって来るのね」
「彷徨?」
「田中英光には、文学でこの世を、そして我が身を救いたい、自分にかかわるすべての人に幸せになってもらいたい、そのためには、身を捨ててでもこの世に奉仕したい…という、強い憧れがあったのね。そしてそれが、彼の心を駆り立て、人生をゆがんだものに変質させていく…」

そのとき私は二十三歳、そのとき私にとっては未知のものにおもわれていた世の中のあらゆるものを焼けるような好奇心でむさぼりつくしたかった。(略)ジードの「地の糧」の冒頭の一句―ナタニエルよ、神をいたるとおころに見出そうと冀わねばならぬ、という一句を心におもいうかべていた。そのころの私には、女にも、名誉にも、酒にも、神がひそんでいるようにおもわれた。(『愛と青春と生活』より。以下同)

「立派な心掛けじゃないの」
「そうなんだよ。この向上心というか、ひりひりするような渇望心は、田中英光の作品全体を通して、一貫してるのね。しかし、性急に理想を追いかけるがあまりに、周りとの確執を生んでしまう…そこに、この作家の悲劇があるのね」
「へえ?どんな?」
「それは主に仕事や、同僚へのなじめなさ、文学で身を立てたいという餓えから、モーパッサンやゾラ、鏡花や荷風に憧れて、夜の街へ耽溺するところから始まるのね」

なぜならその人たちの気持は、月給が少しでも上がること、同僚を少しでも追いぬきたいこと、もの笑いにならぬ程度にできるだけ物質的な快楽をむさぼりたいこと、まアこの程度のもの以外にはなにもないのにかかわらず、(略)お互いにこれみよがしの機智や皮肉のやりとりをする、こうした厭らしいわざとらしい会話の仲間入りをするのが、学校を出たての私には我慢できないほど辛かった。
(略)いわゆる商売の駆引と称して嘘をやたらにつかなければならない。
(略)いかにも社会の多くの人たちにとって有害無益な、蛆虫のような汚ならしい存在かが身にしみて実感される(略)
またその頃の私はどんな娘さんでもよい、やさしくてきれいでりこうな娘さんが一日も早く、私の恋人として面前に現われぬかとあせっていた。

「彼は、朝鮮逓信局のボートのコーチもしていたが、その仲間と夜の街で遊ぶ以外の時間は、京城の陋屋ともいえる古ぼけた下宿で小説を書いていたのね。しかし、下宿には、小役人か、でなければ性格破綻者の酒飲みしかおらず、友人になりたいと思う人間はいなかった。唯一、会社の同僚の奥さんだけが、彼に優しくしてくれた。まるで姉のように彼に接してくれる。それだけが、日常の中の唯一のうるおいだった。」
「うん」
「そんな索漠とした毎日を送る中で、彼は、ある事件に巻き込まれる。指導しているボート部がレガッタで優勝し、その祝いで夜の街に繰り出した」
「うん」
「そこで、料亭の女たちと仲良くなり、人力車で帰っていく女を見送っているときだった。傍らにいた職人風の男から、野卑な野次が飛んだ。カッとなった英光は、その男をなぐりつけてしまう」
「うん」
「相手の男は鼻血を出して倒れかかる。助け起こしてやろうとした英光は、いきなり、七、八人の男の仲間に囲まれ、袋叩きにされてしまう」
「ふーん」
「それで逃げ出した英光は、ふと、自分の腕から大量の血が流れているのに気がつくのね。刃物で斬られていたわけ。酔いが回っていたので、痛みはそれほど感じなかったが、とにかく病院へ駆け込む」
「うん」
「それで応急処置をしてもらったものの、翌日になり、悪寒と高熱、激しい痛みに襲われ、会社を早退し、下宿で寝込む。それでも収まらず、ついに意識朦朧となり、下宿の女将により、病院に自動車でかつぎこまれる」

(略)「これは丹毒じゃ。(略)」肉を三寸ばかりたてに切って(略)溜まりぬいていた膿をながし、さらに毒菌のついた肉を小さい熊手のような道具でがりがり乱暴にむしりとるのであった。(略)そのときの痛さはさすがに骨身に徹して私は額にいっぱい油汗をかいていた。

「そして絶対安静の身となった英光は、不仲となっていた内地の兄に入院費などの差し入れを請い願う手紙を書くが、帰ってきた返事は、お前の自業自得だという、つれないものだった。ただ母だけが、金を送ってくれた。」
「うん」
「そして、入院生活が始まる。さまざまな患者たちの中に、犬に噛み殺されそうになって、入院していた中川申二という男の子がいた。」

「(略)退屈だったらなにかお話してあげようか」(略)八犬伝の一節、(略)うろ覚えのまま話してきかせると、(略)夢中になって私の話に聞きほれてくれていた。
(略)話し終え、さてじゃアと立ち上がって帰ろうとすると、(略)三十年増がこのときひょいと顔をあげて、「あらまアもっといらっしゃいよ、もうすぐ坊やの姉さんもみえるからさア」と、(略)ぺろりと赤い舌をだしてみせた。
(略)ドアがすッとあき、紅いベレー帽をかぶったセーラー服の少女が澄ました顔ですッと入ってきた。(略)「申ちゃん今日どうですの」そのおどおどしたようなしわがれた声もそのときには妙に哀れに美しく聞えた。「あのね、今日はこのお兄さんにお話して貰ったの」
(略)だいたいロマンス狂の私は、どんな娘にも一応、私の空想している久遠の女性のベールをかけてながめて、そのベールがなにかリアルな問題で剥がれ落ちるまでは、むやみにその娘を好きになるのが常だった。それで私はその申二の姉、中川八重子に母の家計を助けている美しい真面目な娘というだけの、観念の眼鏡をかけて眺めていると、彼女がますます申し分ないものに思われるのだった。

「そしてその中川八重と話をする機会もあったが…」

彼女の映画や小説にたいする趣味の低さもわかり、本気で嫁に貰う気持ちはなくなっていたが、それでも彼女とその後もつづけてつき合いたい気持ちも強かった。(略)それ以上親しくなることもないうちに、私には退院の日がやってきた。
(略)ひょっこりと申二や八重子の母親のおみきが私を尋ねてきてくれた。(略)「ほんとにまあ申二がお兄さんお兄さんとしたっておりますのよ。(略)退院なさったら、汚ないところでございますが、ぜひ一度お遊びに」

「丁度見舞いにきていた下宿のおかみは、「京城はね、植民地でしょ、だからね、ここにきている日本人のなかにはどこの馬の骨ともつかない悪いのがいて、坂本さんなんかちょろりと騙されてしまうから用心しなけりゃ駄目よ」と言う。それきり、八重子とは会うこともないはずだった。ところが…」
「うん」
「社内のタイピスト、江原暁子とデートの約束などして、それなりの期待もするが、正月のある日、孤独でたまらず、不意に外へ出た英光は…」

ちょうど仔狐が親の巣穴にもぐりこみたがるように、なにか家庭的な雰囲気が欲しくてならなかった。それで本町の入口までくると私はふッと旭町の中川八重の家にいってみようかと思った。(略)気持次第でただ外側からその家を眺めて帰ってきてしまうつもりで、(略)路を登っていった。
(略)そこに四、五人の男女の子供たちが陣取りかなにかしているのをぼんやり見ていると、いきなり、「お兄さん」と飛びつく子供がいたので振返るとそれはまだ入院中とばかり思いこんでいた申二だった。(略)「お兄さん、うちにおいで」とまだ繃帯している手で私の手にぶらさがるようにした。それが私には嬉しくて、「ああ行くともさ」と(略)彼の家に入っていった。

「坂本はお屠蘇をふるまわれ、八重の母のおみきから、身の上話を聞かされる…。こうして、一家ぐるみの付き合いが始まる…。おみきは、八重がいかに気立てがよく、苦労してきているかを語ってきかせるのだった。しかし、八重の存在は、すでに坂本と付き合いのある新設な同僚の奥さんたちにとっては、うさんくさいものに映っていた。要するに、彼女らは坂本を誘惑し、娘を押しつけようとしているのだ、という。」

だがそうした夫婦がそろって中川親娘を侮辱することがかえって私を八重に近づかせた。家のため弟のために犠牲になって働いている貧しい美貌の娘、むろん客観的にいえば十人並みで美貌などとはいえたものではないが、少なくとも当時の私にはそんなにみえて、それがロマンス好みの私にはこのましく見えた。
(略)大雪で真っ青い月夜の晩に、愛していた少女やその一族のものと、メンデルスゾーンの結婚行進曲の甘い旋律をきいていると、私はなにか身内の肉のふるえるほどの強い感動をうけた。
そうして私は八重に結婚を申し込もうとそのときふっと思いついた。だいいち、それで毎日のように八重の家にやってくるときの妙なてれくささが解消できるとおもった。(略)八重という女を私はまだよく知らず、まだ結婚するほど充分愛してもいないということが、その結婚申し込みの邪魔にすこしもならないのだった。(略)どうせ私の妻として完璧な娘はいないのだ。それなら私は女房に貰ってから彼女を教育してゆくのがいちばんだ。そうしてその教育のためにも彼女のように貧しく苦労してきた娘がよい。

「そうして、下宿を引き払い、八重の家の経営する素人下宿へ引っ越した坂本だったが、しょっぱなから、八重の、それまでには見せなかったガサツさ、下品さ、醜悪さに幻滅して、また、会社のタイピストの女の子とデートをしたり、それまで行ったことのない裏町の酒場を放浪して、お気に入りの娘を見つけたりする。」
「うん」
「その酒場の女と会社の娘が喧嘩するなど、いろいろあったが、ある夜、さびしさに耐えかねた彼は。とうとう八重を抱いてしまう。」
「うん」
「その度重なる行為が、ある夜、ついに、八重の母親のおみきに見つかってしまう」
「うん」

(略)私の顔を睨んで「ちき生、殺してやりたい」といったり、「あんた方はこんな可哀想な女をだまして、いまにいいことがないから見ていなさい」とのろうようなことをいっていたが、(略)その夜は、ほとんど夜明けまで私と八重とはおみきのまえに坐らせられて、小言やら愚痴やらをきかされた揚句、私はかならず近いうちに東京の母に手紙をかき、八重と正式に結婚することを約束させられた。
(略)東京の母も(略)京城にやってきた。(略)気の強い母はおみきに向い、母娘で私を誘惑したといったようなことから、激しい喧嘩になって、おみきはまた裸足で表に飛びだすような騒ぎがあった。その暮れにようやく二十四の私と二十二の八重と朝鮮神宮で結婚式をあげたが、(略)誰も仲人のいない淋しい結婚式になった。

「以上が、『愛と青春と生活』のあらましね」
「なんか、いたたまれない感じだね」
「そうだね。このあと、夫人との間に、四人の子供ができるんだけど、夫人には、この夫より以前に深い関係のあった男性が存在していたことが、後にわかるんだよね。証拠がありながら、夫人は頑として認めようとしない。主人公は、そんな偽善的な冷たい雰囲気の家庭に嫌気がさして、家出して放浪したりするのよね。」
「ふーん」
「とにかく、こういった事情とともに、当時の朝鮮の底辺で暮らしていた人々の暮らしも活写されるのね。もう、洪水のように人物描写がわき出てきて、読んでいるこっちまで息苦しくなるくらいの…。そして、主人公の理想と絶望とが、痛いくらいに訴えかけてくるんだよ。前にもいったけど、まるで自分がその場に居合わせていたかのような迫力を持って迫ってくるのよね。これも、もう、読み始めたら、熱にうかされたように読むことを止められなくなるよね。主人公は、いったいどうなるんだろう、って気になって気になって…」
「うん」
「でもこれは、その後主人公を待ち受ける、さらに激烈な運命の、まだ幕開けにしかすぎなかった…ってなところで、今回は終りね。この続きはまた次回」
「えー?続くの?そんなの初めてじゃない?」
「田中英光の壮絶な生き方を語るのに、一回分じゃとうてい、足りなくてね…。彼の小説全体が、一個の人生みたいなものだし、彼の自伝でもあるんだよね。まあたまには、こういう続きものもいいんじゃない?今度は、同じ田中英光でも、違う作品をメインに取り上げるから。じゃあ、またね!」

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