「オヨヨ島の冒険」(小林信彦)

「今日は、あたしにとって、大切な、思い出の本を紹介するよ!」
「へえ、なあに?」
「これは、あたしが、小学生低学年の頃、最初に文庫と言うものを読んだ記念的な一品なんだよ!これ!角川文庫リバイバル・コレクションから出ていた、小林信彦『オヨヨ島の冒険』!」
「へえー、マンガみたいな表紙だねえ。いかにも子供が喜びそうな…」
「そう、そして、この、印象に残る、タイトルでしょ?これは面白そう、って、手にとって読んでみたら、あまりの面白さに、もうびっくりして、夢中になったわけ。それまで子供向けのホームズとか世界の名作なんかを読んでたけど、これは、けた違いに面白くて、この本があたしの本好きの性格を決定づけたようなものだったね」
「ふーん」
「よく子供が、自分だけの宝箱、とかいって、気に入ったオモチャやビー玉みたいなものを大切に持っていることがあるでしょ?この本は、あたしにとって、まさにそんな一冊になったわけね。大事にして、当時、何べん読み返してたかわからない。」
「うん」
「今回、ここで取り上げるに当たって、久しぶりに読み返してみたのね。そしたら、まあ、確かに、時代を感じるとこもあるけど、それに、子供むけだから、大人の眼で見ると、食い足りないところはあるけど…それを差し引いても、やたらめったら面白い本だった!それで、この童話ともいえる子供むけの本を、大人の小説と同列に、ここで徹夜本として紹介することにしたわけ。まあ、薄い本だから、徹夜というほど読むのに時間はかからないんだけどね…」
「へえー」
「それにすごいことに、今の、流行り真っ盛りの、ラノベ群にくらべても、ダントツに出来がいいんだよね。文章も、オハナシも…。ここはひとつ、大人も童心に帰って、初めて本と言うものを、文字というものを読む幼児のような心で接してほしいな。まあ聞いてよね。こんな感じではじまるのね」

あたしって、すごく、不幸な星の下に生まれたんじゃないかと思う。
だいたい、うちのパパは、かってすぎる。それとも、よそのパパも、ああなのかな?

「主人公は、小学五年生の女の子、大沢ルミ。放送作家のパパと、ママの三人家族。パパのことを、てんで低俗、『急にニコニコするかと思うと、「こら!」なんて怒るし、なんだかよく分からない』とか言っているイタズラ好きの少女だが、自分では、大して悪いことはしていない、とつねづね思っている」
「うん」
「この子のおこしたさまざまなイタズラで、学校の先生や、パパたちはてんてこまいするのね。」

あたしは、ずいぶん、おしとやかなつもりなんだけど、みんな、あたしのことを、イタズラだって言うのは、なぜかしら?
それは、あたしだって、たまには、イタズラをするわ。(略)
…タバコ事件は四年のときだったわ。
あのときだって、ジュン・ナマが悪かったんだ。(略)
「でもよォ、火薬は、すごく少ねえよ」って、ジュン・ナマは言いはったのよ。
それで、つい、あたしは、花火を真ん中に仕掛けたタバコを、先生の吸いかけのハイライトと、こっそりすりかえたの。(略)
しばらくすると、教員室のほうで、
―ズドーン!
という音がして、まもなく、救急車がきたようだったわ。(ジュン・ナマがあとで白状したんだけど、彼、火薬の量をまちがえたんですって)
先生のあのハンサムな横顔に異常がなかったことを祈りたいわ。だって、その先生は、それっきり、よその学校へうつられたので、どうなっちゃったか、まるでわからないの。おかげで、あたし、パパといっしょに校長先生の前に呼ばれちゃった。
(略)あのとき、天井からジュン・ナマが落ちてこなかったら、あたしたちはどうなっていたかわからない。
ジュン・ナマは二階の床のすみから天井にもぐりこんで、あたしのしかられてるとおころをにやにや見ていたにちがいない。ところが、どっこい、ぎっちょんちょん(略)梁から足をすべらせて、ベニヤ板の天井から落ちてきたのよ。
ものすごい音がして、校長先生はひっくりかえっちゃった。
(略)でも、さすがは、ジュン・ナマ、ぱっとトンボ返りをして、
「あねさん、ごめん!」
て、あたしたちの方を片手でおがんで、外へとび出して行っちゃった。
(略)結局、泥棒が落ちてきたってことで、ケリがついたのだけど、パパは、信じられないみたいだった。
(略)「イタズラなら、かわいくやっておくれ。それに、おまえには、あの学校は少し下品なんじゃないか」
「そんなことないわ」
「しかし、おかしいなあ。泥棒はおれたちをおがんでいったぞ」

「うん、面白いね。」
「でしょ?これが、プロローグというか、まだまだ序盤なのよね。それなのに、この密度の濃さ。こんなギャグ調のハリセンをバンバン叩きつけるような調子で全体がおおわれているのよね」
「へえ」
「ある日、学校の帰り道、ルミは、土管の中から出てきた何とも変な二人組の外人、ニコラスとニコライと出会うのよね」

「あんたたち、あたしを誘拐するつもり?」
「ずばり、当たりました」
(略)「あなたがた、ピストルを持ってるんでしョ」
「ウヒウヒ、またもや、当たりました!」
「もう一問で、海外旅行ですよ」
(まるで、クイズをやってるみたい。この二人、きちがいじゃないかしら…)
(略)(この連中は、何者だろうか?ためしに誘拐されてみようか?)
(略)誘拐されてもいい、なんて思ったのは、学校へ行きたくなかったからだ。(略)
「でも、それには条件が三つ、あるの」
「それ、どういうの?」
「一つ、あたしの身の安全を保障すること」
(略)「もう一つ、冬休みにはいる日に、うちへ帰すこと」
「え?」
「あと一つ、最上の待遇をすること。…つまり、食前食後にアイスクリーム。乗り物はグリーン車…」

「こうして、誘拐?されたルミちゃんは、新幹線のなかでアイスクリームやプリンを食べ続け、二人の誘拐犯をこきつかいながら珍道中をきめこむわけね」
「うん」
「しかし、二人の背後に謎の組織があることに気付き、気が変って、とつぜん駅のホームから飛び降りて逃げ出す。それを追ってくるふたり。ルミちゃんは通りがかりのタクシーに飛び込む」

「おばあさんが死にそうなの、大急ぎ!」(略)急にスタートした。
「ゆうべ、徹夜して、眠いんや」、
運転手が言った。
「でも、あんたは、一番めのお客さんやからな」
悪い予感がした。
「おじさん、きょう、開業したの?」
「へえ。なにしろ、やっと免許とれたんや」
「じゃ、運転は初めて?」
「じょうだん言わんとき。そのまえに、三年、無免許運転して、いちども、つかまってまへん」
あたしは戦慄した。
「だ、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶでんがな。こう見えても、あまり、人はひいてないさかいに。ひとり、ふたり…それから、ゆうべのお通夜のぶん」
(略)二人組の乗ったタクシーが真うしろに、いる。
「おじさん、お願い、うしろの車の二人、悪い人なの。できるだけ、とばして」
「あんたも変った子やな。悪い人に追いかけられて、おばあさんの死に水とるのか。ややこしいな」

「ルミちゃんはまだ工事中だった大阪万博会場へ逃げ込む。追いかけて来る二人。その中で、外国パビリオンの展示館から、人食いライオンを解き放ってしまう。ライオンに追いかけられる3人。騒ぎを聞きつけ、やじうまやテレビ局が集まって来る」
「なに?そのメチャクチャな騒ぎ」
「二人組の男は、広場の塔によじ登って逃げ、その様子をテレビが中継する」

(略)「ライオンに追われた二人の男は、塔によじ登っております。彼等の手は凍え、やがて、落ちるかもしれません。そのスリルにみちた30分を、皆さまとともに、楽しみたいと思います。ガードマンがライオンをつかまえるのが早いか。二人の男がライオンに食べられるのが先か。―レッツ・ゴー、万博アワー」
「ルミさん、あなたは、泣いてください」」
ディレクターがあたしに言った。
「どうして?あたし、こわくないわ」
「そうしないと盛り上がらないのです。さあ、ウソでもいいから、泣いてください。日本じゅうの人があなたを見ているんです」
「カメラ、きますよ。ハイ!」
あたしは、さかんに泣いた。
(略)週刊誌の見出しが見えるようだ。―大型ライオンと戦った大沢ルミちゃんの勇気!
(略)まわりが妙に静かになった。あたしが顔をあげると、アナウンサーがふるえていた。
そのはずよ。カメラのまわりにはだれもいなくなって、ライオンがアナウンサーの靴を、大きな舌でなめているんだもの。

「こんな感じで、ずっと続くのよね。でも、まだまだ序盤なの。危機を脱したルミちゃんは、今度は、中華街で、パパが誘拐されるという事件に巻き込まれるの。誘拐犯は、〈ビバ、オヨヨ〉という謎の言葉を残していく…。そして、横浜港の埠頭で、ドラム缶に入れられて、殺されかけてたニコライとニコラスを助け出し、こんどは味方として、『組織』のあとを追うことになる…」
「ふーん、それで?」
「ルミは、ママから大沢家のあるヒミツを明かされる。死んだと聞かされていたルミの祖父は、実は生きており、隠棲して孤島にひきこもっているが、昔は有名な科学者だったという」
「うん」
「ルミと二人組は、その島へ向かい、祖父と対面する。しかし、敵の潜水艦が浮上してきて、4人を拉致し、秘密基地〈オヨヨ島〉へ連れ去ってしまう…。」
「へええ」
「その中で現れた珍妙な艦長のルドルフ、たいこもちのイッパチ、彼等のみょうちきりんな言動にあきれながら、ついにあらわれた首領の〈オヨヨ大統領〉との対面にいたる…」
「なんか、ついてけないなあ」
「何でも、祖父の大沢博士は、第二次世界大戦時、原爆の研究をしていたらしいのね」

「きみの原爆は、あとネジ一本で、完成するところだった。…しかし、きみは、自分の作りだしたモンスターのおそろしさにおびえて、完成しなかったのだ。(略)」
(略)「海賊のルドルフをやとって、東京湾の底に沈んでいた原爆の全部品を回収させたのさ。それを、うちの組織の研究所で組み立てさせた。三年かかって、ようやく完成したが、やっぱり、ネジが一本、たりないらしい」

「さあ、牢屋に入れられたルミたちの運命やいかに?その脱出作戦とは?ってとこで、紹介は終わり。あとは、本を読んでね!」
「いつもいいとこで終わるんだからあ」
「そうでもしないと、ここの記事、どれも、ただの著作権違反のお尋ね者になっちゃうからね。できるだけ、かんどころだけ〈引用〉という形で紹介して、せいぜい本の宣伝に役立つようつとめないとね。」
「まあ、でも、そんじょそこいらのユーモア小説とは一味違う、ナンセンスなお話だってことはわかったよ。文章も、変にてらってなくて、スピーディだね」
「そこがまた、いいんだよね。これは、小林信彦の作品、全部に言えることなんだけど、できるだけ、持って回ったような文章や表現は避けて、直截的に、映像として読者の脳へはっきりとしたイメージを叩き送り込むような、効果的な文体を、この作家は持っているのよね」
「うん」
「それも、作者はきちんと考えたうえでやっているんだよ。別の作品…『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』は、探偵夫婦の活躍を描いた小説なんだけど、作中にこういう一節があってね…」

神戸は坂の多い町である。
わかってまんがな、などと言ってはいけない。こういう一行がないと、小説にはならないのである。(略)
神戸は、という三文字で、夫妻が神戸に着いたことを示し、坂の多い町である、で、二人が坂を眺めているかのようなイメージを読者にあたえようと作者は心がけているのである。この簡潔さを買っていただきたい。

「作者は半ばふざけて書いてるけど、これは、大事なとこなのよね。ユーモア小説でも、マジメな小説でも、エッセイでも、この姿勢は一貫しているんだよ。その結果、一行、一行が、映像的に、脳幹にビシビシ突き刺さってくるような快感を味わわせてくれるってわけ。華麗で微に入り細に入りの修飾語過多の文章が好みの人には、物足りないのかもしれないけどね」
「うん」
「あたしは、小林信彦の文章のほうが、心に突き刺さりやすいし、娯楽小説にしたって、純文学にしたって、理想的な文章だと思うけどなあ。」
「それでお姉ちゃんの本棚って、やたらこの人の本が多いのね」
「そう、一冊を除いて、全作品を読んだと言えるよね。コクのあるこういう文章で中身の濃い小説やエッセイを読むことくらい、読書の楽しみを味わわせてくれるものはないね」
「その一冊って、何なの?」
「それは、『クネッケ博士のおかしな旅』っていう、薄い絵本なのよね。なかなか見かけない本だけど、古本屋で買うと数万円の値段がついているの。ちょっと中身をチラッとみたところ、オヨヨ組織、という一節が見えたから、これも、オヨヨ大統領シリーズの一編なんだと思うな。ぜひ読んでみたいんだけど、なにせ、値段がねえ…」
「ふーん」
「小林信彦については、他にもいろいろと紹介していきたい本があるから、またの機会に語るね。『オヨヨ島の冒険』は、一時期絶版だったんだけど、今は、角川文庫で普通に手に入るみたい。ちょっとノスタルジックでナンセンスな気分にひたりたい人は、おススメだよ!あと、小学生にあたえたら、読書フリークになっちゃうから、そこは覚悟してね!」
「そりゃ大変ね」
「そうそう、この本の冒頭に、実にぴったりな識語が書かれているんだよ」
「へえ、どんな?」
「パパやママが買ってくれる童話がさっぱり面白くないといって、拗ねている子供たちに―
いつまで経っても〈おとな〉になりきれないパパやママに―っていうね」
「ふうん。さりげないようでいて、自信にあふれているような感じもするね」
「この本の価値を見事に表している、これも名言だよね。すくなくともあたしは、この本のおかげで、こうなってしまったようなもんだからね。興味がわいた人は、子供心に帰ったつもりで、ぜひ、読んでみてね!じゃあ、またね!」

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