「真剣師 小池重明」(団鬼六)

「今日は団鬼六の『真剣師 小池重明』を紹介するよ!」
「団鬼六…なんか、危ない小説ばっかり書いてる人じゃないの?」
「そうだね。あんまり読んでないけど…まあ、SM小説というか、ポルノ小説で有名な人だよね。まあ、そっちのほうは、好きものの人が読めばいいとして、この人、無類の将棋好きでもあり、知り合いから頼まれて、「将棋ジャーナル」という雑誌の後援人にもなってたんだよ」
「へえ。そんな事もやってたんだ」
「うん。この人も一生を遊び事に捧げつくした人だよね。今日紹介するこの本も、そんな付き合いのなかから、ふと知り合った、あまりにも異様な人物との交流の中から生まれてきたものなんだよ」
「ふーん」
「ところで、あたしは、将棋ってものを、やったこともないし、ルールも知らないんだけどね…なんで、こんな本読むことになったんだか、覚えてないんだけど、いったん読み始めると、あまりにも面白すぎて、止まらなくなっちゃったんだよね」
「へえ。あたしも将棋って、知らないな」
「将棋って、もちろん、日本を代表するボードゲームで、いまも盛んに競技が行われているんだけど、そこでプロとして一家をなしている人たちは、幼い頃からその天才性を発揮していて、エリートコースを進んでいる人たちが大半なのね。将棋連盟っていう機関があって、そこの奨励会で30歳になるまでにある程度の実績を積んで段位を獲得しないと、プロ棋士にはなれない仕組みになっているのよね」
「うん。羽生善治さんとか、最近だと、藤井聡太さんとか、有名だね」
「そして、まあ、勝負ごとの世界では、どこにでもあることなんだけど、裏の世界では、いわゆるやくざや好事家の賭けの対象になっている、闇の世界ってのがあるのよね」
「うん」
「そこで数十万、数百万という金額を賭けて、自分の雇った棋士同士を戦わせる…いわゆるウマつきの『賭け将棋』をとりおこなうわけよ。そこで戦う、表の世界には絶対に現われない、影の存在である棋士たちを、真剣師と呼ぶらしいのね」
「うん。それが、今回の本の、主人公なんだね」
「そう、将棋ジャーナルを後援していた、団鬼六の目の前に現れたその男、真剣師、小池重明は、一見、普通の、とりたてて見所のない、冴えない、貧乏で、将棋以外何にもとりえのない男だった…」

人妻との駆け落ち歴三回、最後は奪った女を他人に奪われて、(略)しかし、いずれの恋愛においても彼は純粋であった。(略)宿命的に逃亡と放浪の生活をくり返していた男であった。
(略)たしかに破滅型ではあったが、心の優しい男だった。良識ある人に意見されてよく泣いたところはあったが、(略)その如才のなさがなんとも憎めないところだった。
(略)現在では真剣師という異質な稼業は完全に消滅した。(略)最後の真剣師となった異端の強豪、小池重明の実録だけは一冊の本にまとめておきたい(略)。

(略)恩人の店の金庫から金を盗み出して逃亡した理由はたいていは女ができていっしょに逃げたとか、ギャンブルの借金で身動きがとれなくなって逃亡したとかであって、しかし、一ヵ月もすると小池は悄然として古沢氏の前に姿を現すのが常であった。
そちらでカモさえ見つけてくだされば使い込んだお金は返済しますと、(略)真剣将棋の相手さえ見つけてくれれば、と古沢氏に仕事を依頼しているのだ。

「この、人格的には完全に破綻し、いつも人の恩義に預かっては、恩人の金を持ち逃げするなどの裏切り行為を繰り返し、女と逃亡しては、その女に常に裏切られる…純粋性と破滅型のいりまじった、この異端な男の晩年に、団鬼六は立ち会うことになるのね。それで、作者は、この異端児の生い立ちから語っていくことになるのだけど、これが、異様に面白いんだよ」
「うん」
「たとえば、その出生からして、普通じゃないんだよね」

その半ば朽ち果てたようなおんぼろアパートには五世帯ほどが部屋の狭さと汚さに喘ぐようにして住んでいた。(略)亭主といえばチンピラやくざか、遊び人、女房はといえば例外なく夜の女だった。私の親爺の仕事は物もらいだった。(略)白い着物を着て白い箱を首にぶら下げ、戦闘帽をかぶり、アコーデオンを持って全国を渡り歩く傷痍軍人のコンビを組んでいた。家に帰って来ると(略)ザザッと、しわくちゃな紙幣と硬貨が流れ落ちて古新聞の上に山を作る。その瞬間が私はとても楽しかった。(略)稼ぎがあった日は、彼の両親は間借人たちを集めてバクチを開帳する。(小池重明『流浪記』)
(略)小池はこの奇妙な大人たちの仲間に加わって博打をうっている。

親父に将棋で何とか勝てるようになったのは高校一年のときだった。(略)私に勝てなくなると親父は将棋を指してくれなくなった。将棋が面白くてならなくなった私は生まれて初めて将棋雑誌というものを買った。(略)広告で見つけた将棋道場は(略)誰とやっても一番も勝つことは出来なかった。(略)私は負けると人一倍、口惜しがる性だから猛烈に将棋の勉強に取り組んだ。教科書代としてお袋にもらったお金で将棋の定石書を買うようになった。教科書は学校で友人のものを見せてもらえばいいと思った。(同)
それからは雨が降っても槍が降ってもで、小池の道場通いが始まった。(略)学校へ行くと(略)見せかけて将棋道場へ通うわけだ。
(略)名古屋市内で「中部日本学生選手権」という将棋大会が開催された。(略)小池は三段、四段の大学生を(略)片っ端から打ち破って見事に優勝した。

「そして、自信を持って、一つ上のランクの道場へ行くと、先生に、飛車、香落ちで、勝負してもらい、ボロ負けするのね。小池は、「まあ、ここじゃ四段は無理だな」といわれ、敗北感をかみしめる…」
「うん」
「学校はサボって、小遣いはすべて将棋の研究に使い、といっても、教科書どおりの打ち方には満足しない、生ものである道場での実戦の積み重ねしか信用しない、そんな生活を送っていたのね。ところが、道場の娘に惚れ、恋敵である色男と将棋対決を行うことになる…」
「ふーん」
「その時、相手は、負けたら、二万円払え、といってくる。小池には、そんな金はない」
「うん」
「それで、友人に相談すると、クラスの仲間からカンパであつめろ、と勧められ、友人と二人で金を工面するのね。そして、結果は、見事に相手を打ち破った…」
「うん」
「しかし、それがもとで、賭け麻雀をやったという理由で道場主から破門を言い渡され、ヤケになった小池は、不良と付き合い、夜の街に耽溺し、とうとう高校を中退せざるを得なくなる…」
「ふーん」
「そして、ようやく就職できたのは、売春宿だった。小池、十七歳のことだった」
「うん」
「小池のポン引きとしての腕は上々で、客を待たせてる間に将棋の相手をして稼ぐこともあったが、店の女に惚れて、ヤクザの亭主ともめて、辞めざるを得なくなる…」
「うん」
「それからは喫茶店を渡り歩くんだけど、決まって女にだまされ、金を持ち逃げされ、仕事を失っていく…」
「ふーん」
「名古屋市内の将棋倶楽部を回っては、小銭をかけて将棋の勝負を行い、とうとう、真剣師の経営する駅前将棋クラブに住み込みで働くが、小池の腕前では、本物の真剣師たちと打ち合うにはまだまだ実力不足だった…彼は、実戦のなかで修行を続ける…」
「うん」
「そのうち、負けはしたものの、大会で知り合った、関則可という強い棋士にたのみこんで、東京の彼のアパートに居候させてもらえることになったのね。そこで、彼の紹介で、上野将棋センターで手合い係として勤めることになる」

小池手合い係の評判は良かった。(略)将棋指導が懇切丁寧である。(略)最後には相手に勝たせるというサービスを発揮する(略)

「そして、人から持ち掛けられた試合で、プロ棋士との試合を持ちかけられる…小池に異存はなかった。プロ側も断るわけには行かない」
「うん」

序盤はたちまちプロ側が優勢になるが、中盤以降、徐々に形勢はアマ側に傾いて行った。(略)有田四段の指し手は乱れて受け一方にまわり、逆に小池の指し手は水を得た魚のように生き生きとして(略)華麗な寄せの技を見せた。
「負けました」と有田四段が駒を投げると観戦者からは、ほう、と溜息とも感動ともつかぬ声が洩れた。小池はすぐに駒を並べ直して、こうすればおそらく有田先生がお勝ちになったはずで―と、淡々として感想戦に入る。有田四段は茫然自失して小池の説明に耳を傾けているだけだった。

「将棋で食っていけるかもしれない…と思った小池は、奨励会の試験を受けることにした。それには、誰かと師弟関係を結ばねばならない。関のつてで、松田八段と話がついた。ところが…」
「うん」
「浮かれた小池は、道場の客として知り合ったキャバレーの経営主にさそわれ、そこの女に惚れ、道場の金庫に手をつけるようになってしまったのね」

もう、こうなると残された道は逃げることだけでした。松田先生にも関氏にも合わす顔がありません。(流浪記より)

「結局、東京を離れて、名古屋に逃げ帰り、父親のつてで葬儀屋に勤め、マジメに働くようになるのね。ところがまた、二年後、仕事で知り合った未亡人とくっつき、仕事を辞めて、不動産会社の運転手など、職を転々とし…」
「うん」
「子供の死産を契機に夫人とも疎遠になり、また、懸賞金のつく将棋大会へいどむのね」
「ふーん」
「新宿・歌舞伎町の天狗クラブに寝起きし、客相手に真剣師としての勝負を繰り返し、…もちろん、スポンサーがついて、大金が行き交う裏の世界での勝負ね…自分でも信じられないほどの勝ちをあげ、真剣師として小池の名は、界隈では誰一人として知らぬ者のない存在になっていったのよね」
「うんうん」
「ところが、強くなりすぎ、もはや真剣師として彼に勝負を挑んでくるものはいなくなっていた。困窮した小池は、ついに、アマ・プロ戦に出て、プロ四人と戦うことになる」

当時、アマはプロに勝てるはずはないと見られていた。
(略)小池の対プロ戦は四勝一敗の成績であった。(略)これは恐るべきアマの登場であった。
プロを恐怖に陥れた「新宿の殺し屋」、小池重明の名はプロ棋界にも知れ渡った。
(略)打ち上げの宴が開かれたが、(略)負けた一局を口惜しがり、あそこで、ああ、指せば俺勝っていたんだ、と(略)愚痴っていた。この男、プロに全勝する気だったのかと、一同、呆然とする。

「そして、小池はアマチュア将棋名人戦にいどむことになるのね。裏の世界の「無冠の帝王」だった小池にとって、初めての、タイトルを賭けた戦いがはじまる…それにもかかわらず、当の小池は、試合前夜まで、飲んだくれて、酒臭い息を吐きながら、フラフラの状態で対戦に向かうのね。対戦中に寝てしまうこともしばしばだった。…それでも、勝ってしまうのね」
「うん」
「このあたりで、小池に対戦をつぎつぎと挑んでくるエリート棋士たちを、赤子の手をひねるように打ち負かしていく描写は、読んでいて一種異様な高揚感をあたえてくれるね。しかし、実生活では、サラ金に追われ、困窮を極めていた。そして、いよいよ、プロになるため、大山康晴十五世名人との世紀の一戦となる…」
「大山名人…将棋を知らないあたしでも、名前だけはきいたことがあるね。」
「ところが、その大事な一戦の前夜、夜の街で酔って暴れた小池は、留置場にいれられてしまうのね。朝になりハッと目覚めた小池は、対戦会場へ走る。そして、酔いも冷めぬ頭で対局に臨む…」
「それで、どうなったの?」
「そこは、読んでの楽しみね」
「そんなあ」
「とにかく、いろいろあって、名だけは売れた小池だったけど、またしても事務所の金を持ち逃げする、寸借詐欺を行う…それが、週刊誌にもデカデカと掲載され、将棋界にいられなくなってしまう。ついには、『もうおれは蒸発するよ』と、ドヤ街で土方の仕事につく…。飯場で、二年間のつらい生活を送ったのちに、耐え切れなくなり、団鬼六の前にあらわれるのね」

小池の将棋はこれまでプロの指導を受けていた私の目から見れば型破りで、筋の悪さだけが目立つような妙な将棋だった。(略)こんな悪筋な将棋に負けるはずはないと追い込んでいくと終盤まぢかにきて一発、逆転のパンチを喰わされる。
(略)小池と奨励会三段とを戦わせてみたことがある。やっぱり奨励会員は小池には勝てなかった。「いや、先生に緩めていただいた。いや、僕はツイていただけなんです」と、小池は若い奨励員たちを先生と呼び、いつもながらのへりくだった言い方をして、負けて苦虫を噛んだ表情になっている奨励会員たちを慰めるのである。

「そして、小池は、団に身の上話を始める…苦しかった土工時代のこと、幼い娘に会いたいということ…」
「うん」
「そこで、金を与えて返すが、それも、小池は博打で散財してしまい、怒った団は、小池に将棋界の名人たちと勝負をさせ、負けたら出入り禁止との条件をつける…。いずれもエリート、俊英ぞろい…団は、この時の観戦記を、『果たし合い』という小説にして、雑誌に発表しているね。」

このとき、私は小池の終盤における華麗なばかりの寄せをまざまざと見せつけられたのである。寸分の狂いもなかった。

「しかし、そのときすでに、小池の体は、長年の酒浸りによる肝硬変で、死期を待つのみという、ボロボロな状態になっていた…。生活保護を受けつつ、病院に強制入院させられた彼は、嗚咽しながら団のところへ電話をかけて来る…。女にも人生にも失敗し零落した彼を待つのは、困窮死のみだった」
「ふーん。壮絶だねえ」
「かなりはしょって紹介したけど、もっと面白いエピソードが満載だから、ぜひ読んでみてよ。四十四歳という若さで世を去ったあまりにも型破りなこの天才の生涯を描いたこの作品は、たぶん団鬼六の書いた本のなかでも、一二を争う傑作なんじゃないかと思ってるよ。その時代その現場を駆け抜けた実在の人物にしかわからない、生の息使いや表現が、ズバ抜けているよね」
「そうだねえ」
「団鬼六は、この他に、この記事を書く参考にと思って読んだ『蛇のみちは』が、自伝だけど、面白かったよ。相場で破綻した実家を出てから職を転々とし、バーの経営、学校の先生、エロ映画の制作、SM小説家、と職を変えるごとに色んな人たちと交わっていくんだよ」
「へえ」」
「エロ映画製作の時代には、元、黒澤明の名プロデューサーだった本木荘三郎の落ちぶれた晩年に居合わせたり、たこ八郎や谷ナオミなんかと付き合ったり…。団鬼六には、あと、『外道の群れ』とかの、面白そうな本があるけど、これは、まだ、読んでないや。そのうち読もうとは思ってるけどね」
「あと、ポルノで有名だよね」
「そうだね。『花と蛇』がそのラインでの代表作らしいけど…まあ、ちょっと読んだかぎりでは、この人、女に幻想抱きすぎなんじゃないの?とは思ったけどね」
「そうなの?」
「うん。でも、エッセイなんかは、かなり面白いものがあったよ。『鬼六あぶらんだむ』とかね…。この間、メルカリで、『外道の群れ』のサイン本を買ったよ。識語つきだった」
「うん、なんて?」
「一期は夢よ、ただ狂え、とね。興味を抱いた人は、ぜひ、読んでみてね。じゃあ、またね!」

コメントを残す