「友がみな我よりえらく見える日は」(上杉隆)

「今日は、上原隆の『友がみな我よりえらく見える日は』を紹介するよ!」
「ふーん。今日は、薄い本だね!これなら、すぐ読めそう」
「そうだね。読むのが早い人だと、一時間もあれば、読めちゃうかもね。でも、この薄さに反比例するように、中身は濃い、深い印象を残す面白本なんだよ!」
「この上原隆って人は、作家なの?」
「まあ作家っていうか、ノンフィクション・ライターっていうか…。著書の数も少ないし、あまり有名じゃないかもしれないけど、本当にいい文章を書く人なんだよ」
「へえ。で、この本は何?短編集なの?」
「まあ、今を生きる人々の生活のひとこまを、さりげない筆致でたどっていったノンフィクション・ノベルの短編集、ってところかな」
「ふーん。ノンフィクションって、沢木耕太郎みたいなやつなの?」
「似てるところもあるけど、ちょっと違うかな。どっちかというと、以前紹介した、木山捷平に近いかもしれない」
「うん」
「本当に、どこにでもあるような、色んな人々の人生の一端を綴っているんだよね。みんな、どこにでもいるような、もしかしたら明日の自分かもしれないような身近な存在として、書かれているんだよ」
「ふーん」
「この本には、14編の短編が収録されているんだけど、たとえば、そのうちのひとつ『容貌』を読むと、こんな感じではじまるのね」

喫茶店で初めて会った時に、木村信子(四六歳)はこういった。
「こんなふうに男の人と二人で話をするの一五年ぶり。緊張してます」
木村は男性と恋愛をしたことがない。(略)自分の外見が美しくないから、男性の関心が向かないのだと彼女は思っている。
(略)彼女の家から大崎駅へ向かう道筋に、南雲医院という有名な美容整形外科の病院がある。
十八歳の時、彼女は母親と駅に向かって歩いていた。
「あんた、お金だしてあげるから、南雲さんへいく?」母親がいった。
木村は母を見た。。母の表情から冗談でいっているのでがないことがわかった。そのとき、自分がどう答えたかは覚えていない。ただ、
〈お母さんもやっぱり、私がブスだからかわいそうだと思ってたんだ〉
と考えたことだけはハッキリと記憶している。

「うう、なんか、切ない話だね」
「この本に出てくる人達は、決して、特異な事件をおこしたとか、性格が変だとかいうんじゃないんだよね。日常の、へんてつもない人ごみのなかに、ふといても不思議でもなんでもない人たちなんだよ」

八畳一間に風呂と台所がついているワンルームマンション。三一歳の時に買い、現在もローンを払い続けている。(略)
床に銀色の熱帯魚の形をした風船が二つ横たわっている。たぶん、二、三日前まで、封緯線はプカプカ空中に浮かんでいて、部屋の中を水槽のような感じにしていたのに違いない。

恋愛経験のない木村にも、片想いの思い出ならある。
十九歳の時に、ひとりでハワイ旅行のツアーに参加した。そこで年下の男性と出会った。(略)ハンサムだし、話も楽しかった。〈なんて素敵な人なんだろう〉と思った。しかし、旅行から帰ってからは連絡もないし、会う機会もなかった。そこで、彼女は年に一回海外旅行をしておみやげを買い、それを口実に彼に連絡をとった。
年に一度会う。それが八年間続いた。(略)
連絡をしなくなってから一年くらいたった頃、彼のほうから電話があった。
「会いたい」と彼はいった。
「私、すっとんで行ったんです。(略)『実は…』っていわれたとたんに、『ううん、いわなくてもわかってる』っていっちゃったの。私はね『実はぼくも好きだ』っていうんだろうと思ったわけ。(略)」
ところが、彼は「お金を貸してほしい」といったのだ。
「(略)彼は私が絶対断らないと思ってたんじゃないですか。自分のこと好きだから。『これだけしかないけど』って渡した」
「その時にね、喫茶店に入ってミルクティを頼んだんですよ。(略)私あせっちゃって、(略)ポットに粉ミルクが入ってたの。で、ミルクだと思って入れちゃったら、それがチーズだったんですよ。(略)チーズだから溶けないわけ、浮いてんの全部、(略)彼が見てるし、飲んじゃった。飲み込んじゃった。気持ち悪くて気持ち悪くて。(略)いま、思ってもすっごく恥ずかしい」

「なんか、聞いていられないような話だね」
「そんな彼女は、ある決断をするのよね」

四五歳になった時に、木村は自分のヌード写真を撮ることを思いついた。
「自分の体を誰にも見せたことないなって思ったんです」
友だちに自分の部屋を撮りたいのでといってカメラマンを紹介してもらった。
(略)「いいよ」カメラマンはそばにある醬油差しを取ってくれるような調子で答えた。
(略)一週刊後、写真が出来上がってきた。
(略)〈美しい〉と木村は思った。
(略)それ以後、仕事場などで、写真のことを思い出すと、ちょっと幸せな気分になった。

午前0時。銭湯から帰ってくると、ベッドに入って本を読む。木村はこの時間が一番楽しいという。本を読んでいて眠くなったら、電気を消す。
明日も、たぶんあさっても同じ暮らしが続く。
新宿の街の灯で窓がうっすらと明るい。(略)床に横たわった風船の熱帯魚が青白く輝いている。

「ね、なんか、相当に深い短編小説を読んだような味わいがあるでしょ」
「そうねえ。切ないとただ単純にいえるようなもんでもないような気がするな」
「この本の解説で、村上龍が、この、チーズの粉を紅茶に入れてしまうところを絶賛してて、自分の小説に使わせてほしいと、作者に申し出たらしいね」
「ふうん」
「つまりそれだけ、事実の重みってのがあるわけよね。そして、それを、実にうまくすくいとってくれるのが、この本の作者なわけよ。その腕はもう、神業にちかいものがあるよね」
「へえ。それで、この本の他の話も、こんな感じなの?」
「そうだね。たとえば、いまの話のすぐあとにくる『ホームレス』って話は、こんな感じなのね。部下をかばって上司と衝突し、仕事も妻も失って、アパートの家賃は払えず、いよいよ、街をさまようことになった男が…」

彼の肩をたたく人がいた。以前、横浜でいっしょに働いたことのある男だった。
「メシ食ってないんだ」その男が片山にいった。
「どこで寝てる?」片山が聞いた。
「宮下公園のハコさ」
「あとひとりぐらいのスペースあるか?」
(略)「はじめの一か月は淋しかったね。四八の時だよ。ホームレスになって、ワーッこんなのが続くのかなー、ヤダなーって思ったけど、二か月目になったら、ああ、こんなもんかなって、慣れるんだよね」

「彼のなりわいは、駅構内のゴミ箱に捨てられた雑誌拾い。まるで釣り師が釣り上げた魚を吟味するように、慣れた手つきで雑誌をとりあげ、つぎつぎと電車を乗り継ぎ、獲物を追っていく…」

「路上生活者になると、最低のところまで落ちたって感じがしてみじめにならない?」
「ならない。何かあってガックリくると何もやりたくなくなる人間って多いけど、俺はそれを逆に考えるんだよ。何でもできるようになったんだって。何でも楽しくやるんだよ。ホームレスになって三年目になるけど、今は毎日目標があって楽しいよ。(略)」
「目標を持って、自分が楽しければいいと思っている」片山がいう。
「そういう考えはいつ頃からもってるの?」私が聞いた。
「ホームレスになってからだね」
「その前は違った?」
「自分より他人を助けなくちゃいけないと思ってた。いまは、他人よりも、まず自分を助ける」
後輩を思って上司を殴り、退職した。アパートにやってくる友だちを断れなくて住まいを失った。人のよさが彼を路上生活者にしたのかもしれない。いま、片山は自分を大切にしようと考えはじめている。

「また、妻と別れ、単身で幼い娘を育てながら暮らしている中年男性の話では…」

「じゃ、お父さんとお母さん別れるから、理恵子どっちに来る?」って聞いた。理恵子は黙って、オレのほう指さしたんだ。
(略)理恵子には、かわいそうな選択をさせたな、と思って。で、そのあと、しばらくね、二、三ヵ月くらい、ふとんの中に入ってから、「お父さん、理恵子のこと置いてどこにもいかないよね」っていうんだ。「行かないよ、どこにも行かないから大丈夫だよ」っていうと、やっと寝る。

「こう、日常のはしばしにある、切ない瞬間ってのを、本当に、そのままの形で、浮き上がらせてくれるのね」
「そうだね」
「この本は、もともとは学陽書房っていう小さな出版社から出されたんだよね。それが、ちょっと評判になったんで、幻冬舎文庫にはいったわけ。でも、その際、削除された一編があるんだよね。いま、手元に実物がないんで、詳しくは確かめられないんだけど、売れなくなった少女小説家を扱ったものじゃなかったかな。作家といえば、芥川賞をとった東峰夫という作家が、売れなくなって、路上生活者に落ちぶれるまでを書いた『芥川賞作家』という章もあるね。これも、凄く面白いよ。」
「そうなんだ」
「しかもすごいのは、文章に凝るとか、妙にカッコつけるとか、そんな小細工まったくなしに、平明で事実のみを立て並べていく本当に読みやすい文章で、それも、ありふれた市井の人々を対象に、これだけ深いものが書けるってとこだよね。そりゃ村上龍も感心するわっていう…」
「うん」
「作者は、この本のあとも、どこにでもいる人々の、小さな『こじらせ』を、暖かく鋭い手つきですくい取っていく掌編集を、出し続けているんだよね。同じく幻冬舎から出てる『喜びは悲しみのあとに』、『雨にぬれても』『こころ傷んでたえがたき日に』などね。冒頭に引用した『容貌』の女性のその後も描かれているし、作者本人の孤独な生活をつづったものもあり、で、しみじみと、ちびちびと読んでいくのに最適な本なんだよ。でも、やっぱり、最高にのめりこんで一気に読んだのは、この、第一弾である、『友がみな我よりえらく見える日は』かな」
「ふうん」
「でも何にせよ、とにかく寡作で著作も少ないもんだから、今はいやおうもなく埋もれてしまっているのが現状だと思うんだよね。もしこの記事を読んで興味を抱いた人は、電子書籍でこの人の著作が数点出てるから、ぜひ手にとってほしいな。じゃあ、またね!」

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