「THEルパン三世FILES増補改訂版」(キネマ旬報社・編)

「今日はこれだよ!『THEルパン三世FILES増補改訂版』!」
「えっ、ルパン三世やるの?去年、映画見に行ったよね」
「うん、山崎貴監督の3Dアニメのやつね…まあ、あれも、面白くなくはなかったけど、まあまあって感じだったね」
「なんだか、『カリオストロの城』を、ちょっと薄味にしたような感じだったけど…」
「あの映画そのものが、『カリオストロの城』へのオマージュって感じだったね。ルパン三世に対する愛にあふれた作品だとは思ったけど、それ止まりで、なんかこう、突き抜けたものはなかったよね。」
「そうねえ。見終わった後の満足度は、『カリオストロの城』に比べると、やっぱり見劣りしたね」
「でも、去年行った大野雄二のオーケストラ・コンサートは良かったでしょ?」
「そうだね!『カリ城』のライブ・ビューイングと、ルパンのメドレーとで、大満足だったね!」
「そのまた前の年には、モンキー・パンチの講演会にもいったしね!」
「うん、あれがモンキーさんを見る最後の機会になるとは思えなかったね…」
「おおすみ正秋監督も迎えて、貴重な話をいっぱい聞けたよね。行っててよかった」
「ところで、その本はなに?雑誌?」
「れっきとした、書籍なんだよ。キネマ旬報社編集の、ルパンの過去作に携わってきた人たちのインタビューや、全作品の記録なんかが載ってるの」
「へえ。古い本みたいだけど」
「1998年だから、まあ、古いよね。ルパンの第三シリーズまで終わってて、年一回のTVスペシャルが放映され続けた頃の本かな」
「ルパンって、今でも時々新シリーズが出てたりするよね」
「うん、次元が主人公になったり、峰不二子が主役になったり、いろいろ手を変え品を変え出て来るけど、最近のルパンは、どうも、カッコつけすぎで、シラケるのも多いんだけどね…ところで、ルパンって、TVで見始めたのはいつぐらいから?」
「あたしは、ものごごろ着いた頃から、いつの間にか、TVでやってた、って感じかな。再放送派だね」
「あたしもそうなんだけど、最初は、ただ、さわがしいだけのアニメだと思ってたの。ところがね…」
「うん?」
「TVで、ルパンの一番最初のシーズンのやつ…大隅正秋や宮崎駿やら高畑勲がやってたころの、23話分を見て、ぶっとんだの。これぞ、本もの中のホンモノだ!第二シーズン以降は、これの設定だけ借りた、パチモンだとすら思ったね」
「おおげさだなあ。まあでも、第一シーズンが一番面白かったってのには、賛成だけどね。あたしは、第二シーズンも好きだけど。第一シーズンって、そう言っちゃなんだけど、なんか、暗くて、頭空っぽにして見れないじゃない?」
「まあ、そういう面もあるけどね…ところで、この本全体を読んで思ったことなんだけど、やっぱり、第一シーズンと『カリオストロの城』の存在感の大きさよね。この本の中でも、その二つに大きく頁が割かれてて、第二シーズン以降は、ほとんど触れられていないくいらい」
「そうなんだ。最近、またTVで、第二、第三シーズンを再放送してるね。まあ、見てないんだけど…」
「まあ、第二シーズン以降は見なくてもいいかな、って感じはあるよね。宮崎駿の演出した『死の翼アルバトロス』と『さらば愛しきルパン』は見る価値あるかなとは思うけど」
「無慈悲ねえ」
「だって、この本の中でも、第二シーズンでは、それしか触れられていないんだから。森卓也の『カリオストロの城』分析論がドーンと載ってるし」
「ふーん」
「ルパン三世のアニメって、そもそもの立ち上がりからして、それまでのアニメとは異質な存在だったみたいなのよね…最初は大人むきの劇場用お色気アニメとして発想されたらしいの。パイロットフィルムも作られてね。でも、それがゴーサインが出ず、1年くらいたって、読売テレビから30分もののTVシリーズにするということなったの」

子供のためではなく、大人のためのアニメーションという企画は大隅を夢中にした。(略)自身ルパンの熱狂的なファンだった大隅は、まずライターには(註・原作マンガの)『ルパン三世』を知っているかどうかを聞いた。知らなければ、外した。最初に決まったのは若松孝二のもとでアングラ風の奇妙な殺し屋映画を作っていた大和屋竺という男だった。(略)音楽は『七人の刑事』の山下毅雄に声をかけた。「孤独な音色を出せるのは日本で今あなただけだから」と口説いたという。(高橋実インタビューより)

「しかし、アンニュイな雰囲気の大隅ルパンは視聴率的には惨敗だった。あとを引き継いだのが、宮崎駿、高畑勲だった。お色気担当だった峰不二子は短髪の元気な美少女になり、ドタバタも増えて行った。それでも、いったんどん底まで落ちた視聴率は戻らなかった。結局、全52話の予定は23話で打ち切られた。」
「うん」
「あたしなんかは、宮崎ルパンも凄かったと思うから、ぜひ52話まで続けてほしかったと思ってるんだけど、大塚康生のつぎのような発言を読むと、仕方なかったかなとも思えてくるのよね」

実際問題として、僕たちにはもうあれ以上作る余力はなかった。それほど疲れ切ったのを覚えています。(略)もうこれ以上の話は出来ない。週一本の放映スケジュールの中で、ストーリーもアクションも考え尽くしてやってましたから。(大塚康生インタビューより)

「なるほどねえ」
「しかし、その後の夕方の再放送でルパン人気は徐々に高まり、沸騰する。再放送枠での視聴率史上最高値を達成し、第二シリーズの企画が5年ぶりに持ち上がる。その際、新たなスポンサーから、エンターテインメント色の強い作品を制作して欲しい、音楽と主題歌を変えたい。声優役の五エ門と不二子を変えて欲しいという要望もなされたというのね」(『私の「ルパン三世」奮闘記』(飯岡順一)より)
「ふーん」
「ただ、第二シーズンは、視聴率的には好調であったものの、視聴者からの意見では、「全作に比べ痛快さに欠ける。スリル、アクションがピリッときいていない」という意見もあったらしいね。家族みんなで見られるという健全さは好評だったらしいけど」
「そうなんだ」
「あたしも、批判的な意見に賛成だな。その後のルパンは、なんか緊張感に欠ける。山田康雄も言ってるね。ガキっぽくなちゃったって」
「まあ、それはあるかもね」
「第二シーズンの功績としては、二つの劇場用ルパンを作りだす要因になったってことかな。吉川惣冶監督の『ルパンvs複製人間』、宮崎駿監督の『カリオストロの城』ね」
「うん、それはあたしも賛成だな」
「『ルパンvs複製人間』は、第一シリーズのスタッフを再結集させた、ってのが売り文句の上映だったらしいけど、その言葉どおりの、第一作目の雰囲気をうけついで、スリル、スピーディさ、ギャグの切れ、どれをとっても正統な後継者だったよね」
「うん、面白かった。敵もとんでもなくスケールのでかい相手だったし。スペクタクルも申し分なかった」
「脚本は、吉川惣冶監督と、大和屋竺の共同になってるけど、ほとんど吉川監督の単独だったらしいね」
「へえ、そうなんだ」
「やっぱり面白さってのを知ってる人が書くと、違うのよねえ。『カリオストロの城』の宮崎駿監督なんて、骨の髄からエンタメの骨法を知り尽くした人だからね」
「そうなの」
「昔の東映映画で、『長靴をはいた猫』ってのを、見てみれば、わかるよ。井上ひさし脚本、矢吹申彦監督だけど,後半のアクションは、ほとんどその時ぺエペエだった宮崎駿のアイデアだったらしいよ。魔王城の粘土細工までつくって綿密に考え抜かれたハラハラのアクションシーンだったんだから」
「へえ」
「昔から宮崎駿って人は、高い場所でハラハラさせながら戦うシーンが大好きであったということがよくわかる映画だよね。おかげで、井上ひさしのシナリオはほとんど使われなかったらしいけど」
「ふーん」
「同じ東映の『どうぶつ宝島』もそうだよね…いけない、話がそれちゃった。『カリオストロの城』には、こんな話が伝わっているよ」

私がひとりで(略)思案して苦しんでいたそんなある日、宮崎さんから電話がありました。
「大塚さん、『ルパン』をやるんだって」(略)
「(註・鈴木清順から上がって来ていた)本がね、まるで違うんだけど…一緒に考えてくれない?」
「ぼくがやろうか…」
私はやった!と天にも昇る思いでした。宮崎さんがやればこの作品は絶対に面白くなる。(略)(大塚康生「作画汗まみれ」より)

「鈴木清順って人は、実写映画で『ツゴイネルワイゼン』なんかで前衛的な傑作を作ってる人なんだけど、きちんとしたストーリーを作るには不向きな耽美派な人だったと思うのよね。この人がのちに作った『バビロンの黄金伝説』は、まるで雰囲気映画みたいな、得体の知れないストーリーのルパン映画だったし…。それと、手塚治虫も、『カリオストロの城』には衝撃を受けていたらしいね。大塚康生を前に、僕は見てないんです、といいながら、その実、虫プロのスタッフの証言として、前日まで試写室に一日中こもって、『カリオストロの城』を際限なく見返していたそうだよ」
「ふーん」
「ところが、その宮崎監督にしてからが、『カリオストロ』以降は、ルパンをやる気がなくなっちゃって、第三作目を依頼されたときも断って、押井守を推薦したそうだよ」
「へえ。『攻殻機動隊』の?」
「そう、ところが押井守は、『もうルパンなんか時代遅れだ』と考えて、とんでもない企画を持ち出してきたのよね」

最終的にルパンなんかどこにもいなかったという話にしようと思ってたんです。じゃルパンだと思ってたのは誰なんだということになるんだけど、(略)あの連中はみんな変装の達人なんですよ。最初ルパンだと思ってたのが次元だったり、銭形と見えたのがルパンだったり(略)全て事件が終わった段階で(略)そのときルパンはいなくなっていて、ルパンはどこへ行ったんだ(略)全部が虚構で全部がどんでん返しで、確かなものなんか何もないという話。(略)もしかしたらルパンは最初からいなかったんじゃないか(略)(押井守インタビュー)

「これが制作側から猛反発をくらって、押井守は降ろされるわけだけど…まあ、その理由もわからないこともないんだけど…。押井守は、この時の材料が、のちの『うる星やつら・ビューティフル・ドリーマー』や『パトレイバー』や『攻殻機動隊』に生かされたと語っているね」
「うん」
「ところで、宮崎駿だけど、彼も、制作側から第二シーズンの二話分の監督を要請されるんだけど、乗り気じゃなかったみたいね。実際、制作された『死の翼アルバトロス』は。『未来少年コナン』の焼き直しみたいな話だったし、最終話の『さらば愛しきルパン』は、延々暴れまわったのは、実はニセルパンで、本物のルパンは、最後にチラッと顔を出すだけだったしね」

3年間つづいた新ルパンは、(略)高視聴率をあげ、商売としては成功したかもしれない。が、時代の子には一度もなれずじまいだった。むしろ、時代とのズレを売り物にする、アナクロナンセンスドタバタのなかへ息ぎれしていったのは無惨としかいいようがない。(宮崎駿「ルパンはまさしく、時代の子だった」より)

「それで、第二シーズン最終話の演出を任された宮崎駿は、」

「もういままでのルパンは全部ニセモノだったというようなトッピな話にしたんですが、かえってヒンシュクを買ってしまいました」(高橋実『まぼろしのルパン帝国』より)

「というような話だったらしいのよね。これで、なぜ『さらば愛しきルパン』が、ほとんどニセルパンの暴れる話に終始していたかの謎が解けるよね」
「ふーん」
「でもあたしは、ルパンは、確かに時代遅れの存在かもしれない、けど、それでもなお、活劇精神が映画やテレビの世界から消えてなくならない限り、復活は出来るんじゃないかと思っているのよね」
「へえ」
「宮崎駿以降のルパンがダメなのは、脚本造りの要点がズレてるからじゃないかと思っているの」
「ふーん?例えばどんなふうに?」
「まず、ルパンの性格としてのとらえかたね」
「へえ」
「ルパンの性格、三枚目でおちゃらけてて、みんなを楽しませること、カッコいいこと、愛されることが第一、なんて考え方じゃだめなのよ」
「そう?」
「だって、ルパンって、無個性なんだもの!」
「無、無個性?」
「そうよ、昔のルパンってのは、しっかりした、かたき役…悪があって、敵役…陰謀、ガジェット、といってもいいよね…そんじょそこいらの妨害ではびくともしない、まるで強固な現実世界のがっちがちの厳しさに似た、制度としての悪があって…それは、巨大で絶望的なまでに残酷な現実社会というものに、卵からかえったばかりの雛のような若者が直面して立ち向かっていかざるを得ないような…それを、おちゃらかした男が、やすやすと手玉にとる、メンツをつぶして嗤ってしまう、そういうことで、視聴者の留飲を下げる…そういう、図式の上で、ルパンの個性ってのは、なりたっていたと思うのね。強い存在の敵役、ガジェットあってこそのルパンの個性だったわけよ。それが、新作では、まるきり敵側が腑抜けになっちゃって、魅力ある独自の陰謀も作れていない、銭形警部からして、最初からマヌケに設定されて、相手にもならないような状態で…「悪」側にしたって、最初からルパンにバカにされるのを待ってるような、図式的な、うすっぺらいやつしか出てっこなくなってたんだもん」
「敵役、つまり相手側がしっかりしてないと、ルパンの冗談も個性も生きないってこと?」
「そうよ、さんざん迫力もって迫ってきた敵役をおちゃらけた態度で、笑いとばし、爽快に抜き去ることで、ルパンの個性ってのは、初めて、なりたってたはずなのに、相手側のそこがぐずぐずになってたから、新作以降のルパンは、全然その良さが生かされてなかった、個性を発揮できなかった、ってわけ。敵役も、ただ怖いだけじゃダメなのよ、やられ方にも芸ってもんがなくっちゃ。『罠にかかったルパン』や、『どっちが勝つか三代目』での、敵の首領の、ルパンにしてやられたときの、マヌケ面の芸なんか、見た?それまでの落差で、笑わせるったらないよ。カリオストロの伯爵にしたってそう。やられ方にアイデアがあり、ひねりがあり、芸があるってそういうことだよね」
「敵側の陰謀にも、新作以降は芸がなくなったってこと?」
「そういうことよね。ちょっとやそっとじゃ、こじあけられない、まるで現実世界の厳しさを反映したような、難攻不落ともいえる強固な威厳を持ち、それを存在意義そのものから、おちゃらかされることによって、ますます、やられ役としての輝きを増すような、芸術的な芸をもつ敵役の存在がね、ルパンには必要だった、また、それがなくては、ルパンそのものも、無個性のままボーッとしてるか、無意味にバタバタ動いてるかしかなかったってわけよ」
「うーん」
「そこが、去年の山崎貴版ルパンにも欠けてたわけよ。その点、吉川惣冶監督、宮崎駿監督はわかっていたのね。敵役がいかに魅力的な強固なガジェットを提供できるかってのが、このルパン物語の核には必要かってこと。どっちも、銭形が頭の切れるはつらつたる敵役になり切ってたもんね。主敵である、マモー、カリオストロ伯爵はもちろんのことね。ルパンの敵役で、新作以降思い出せる人物っている?」
「うう。そういえば、旧作の悪役は、全部思い出せるけど、新作以降、テレビスペシャルもふくめて、マモーとカリオストロ以外は、思い出せない。…」
「そうなのよ。敵役、ガジェットに血がかよってしっかりしていなければ、ルパンの個性も出てこない、出せない、それがルパンが失速した原因だと思うな」
「そうなのかあ」
「窮屈な社会に対するアンチテーゼとして出てきたキャラクターが、強固な『敵』が消滅するか、腑抜けになることによって、自らの存在意義すらみうしなってしまうという、よくある話になってしまうのかもね。劇場第三作の『バビロンの黄金伝説』も、敵役がいかにも役不足で、謎の設定も役不足、それで失敗作になってしまったんだもん」
「ううん」
「ホントはアニメの話なんかする予定はなかったんだけど、今回、一晩中、この本を読んで、あまりにも面白かったんで、ついつい語ってしまったな。今後、マンガなどについての本も、紹介していこうかな。じゃ、今回はこんなところで。またね!」

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