「あの頃の事」(宇野浩二)

夜ふけの町をあるいて帰ると、町の道はかちかちに凍っていて、家々はみんな寝ていたことだ。私は、こんなに正直に、こんなに一生懸命に働いてるのに、世界のすみずみまで見張っておられるという神様は、彼が私に味方をしない筈がない、と夜の寒空の下を、ふるえながら、あるきながら、考えたものだ。私は、下をむいてあるきながら、彼はきっと私をあわれんで、私が拾って使ってもいいお金を、誰かにこの道に落とさしておいてくれるにちがいない、と本当にまじめに考えたものだ。だが、何も落ちてはいないのだ。この上は『どろぼう』をしても差支えがあるまいともちょっと考えたことだが、これだけ文学の修行をしても、文字で飯を得られないものを、修行もなしに、『どろぼう』する能力など思いもあよばぬにちがいなかった。

「今日は、宇野浩二の『あの頃の事』だよ!」
「宇野浩二?これも、なんか、教科書かなんかに出てきそうな名前ねえ」
「そう、若き日は芥川龍之介なんかと友達だったっていう、まあ、昔の人だよね。生きてる頃は『文学の鬼』って言われてたらしいよ」
「また古い人を…どうせまた、いま本屋で手に入らないようなものなんでしょ」
「あたしがこの小説を初めて知ったのは…というか、宇野浩二を初めて知ったのは、古本屋で買った『夢見る部屋』っていう、ボロボロの本だったのよね」
「へえ。安かったの?」
「うん、この本の元本は昭和17年に出てる単行本なんだけど、あたしが買ったのは、戦後に出た普及版だったから、二束三文だった」
「昔のお姉ちゃんって、よく古本市に行っては、山のようにボロボロな本を買ってきてたもんねえ」
「この本も、大したものとも思わず、何かのついでに買ったようなもんよ。買っても、すぐには読まず、ほったらかしてた。そんな感じだったんだけど…」
「どうしたの?」
「ふと、本の中盤あたりの部分をちらっと読み始めたら、おおっ、これは!と、一気に引き込まれて、ひと晩で全部読んじゃったの。この本に入ってた『あの頃の事』という短編の一部だったのね」
「ふーん。またどうして?」
「まず、この冒頭にも引用したような、うらぶれた孤独な、行き場所のないような焦燥感、追い詰められた生活感のリアルさ、さまよい彷徨するしかない主人公の、それでもどこかまだ夢見がちな震えるような胸のうち…というか、そういうものが、ガチっとあたしのハートをわしづかみにしちゃったわけね」
「おおげさだなあ」
「まあ、読んだのが、よりによってボロボロの、黄ばんだ、いかにもうらぶれた主人公にふさわしい、表紙のとれかけた古本で…しかも、旧かなづかいだったから、見捨てられたような、感傷的な効果が増幅されてた、ってのもあったかも知れないけどね」
「へえ」
「まあ、子供のころ、よく、かくれんぼなんかしてて、暗がりに身をひそめたりする感覚とか、秘密基地を作ったりする、ちょっと意識の片隅にヒミツの隠れ家を持ったりする感覚…ってのが、あるじゃない?あれに、非常によく似たものを見出したのよ。それで、他の誰が認めなくても、この短編は大傑作!と思ったわけね」
「ふーん」
「ちょうど目にとまったその箇所が、主人公が、どうしようもなく追い詰められて、あてどなく夜道をさまよってる場面だったんだよね」
「それが冒頭に引用した部分ってこと?」
「まあ、もう定かには覚えてないけど、たぶん似たようなところだったと思う」
「で、どうしてさまよってるの?」
「この主人公、っていうか、作者自身よね、この青年は文学で身をたてようと、ひとりで東京の安下宿に移り住み、陋屋で鬱々とした日々を送っていたのよね。でも、金を稼ぐ手段を持たず、下宿代はたまる一方、そんな中…」

二十四歳の秋の時分だ。私は、その夏きり、それまで月づきおくってもらっていた、かろうじて1ヶ月分の生活費にたりるほどの、父方の親類からの『しおくり』をたたれて、それも無理はないのだ、そうふかい姻戚でもないのに、いつまで金を送ってやっていてもきりがない、とその親類だって思ったのだろう。実際また私だっていつになったらという『あて』がちっともなかったものだ。(略)内々の困り方は一と通りではなかったものだが、だといって、それをふせぐための方法を私はほかになんにも知らないのだ。まったく困ったことだった。考えてみると、まだ原稿というものを金にかえた経験を持たなかった私は、職業をはじめた時のどの人もがたぶん感じるように、紙屋から買ってきた原稿紙に自分でペンで字を書いたというだけのことで、それが金になるなどということは、人はしらず、自分には、『うそ』のような空想としかおもえないとも思われたものだ。

「こうして、読み返してみると、つくづく、無垢な青年、って感じがするのね。ドストエフスキーの『白痴』みたい、と思っちゃった。主人公は、いちおう大学は出ているんだけどね…」

ところが、その私のおさめた学問というのが、おなじ学問は学問でありながら、それが特殊の学問であることを忘れて、今にどうにかなるだろうぐらいに考えていたものだから、神様がおこって、そんな目にあわしたのかもしれない、だが、それにしても、彼は不公平だ、ほかの学問なら、思いたちさえしたら、その日から衣食の道に役立てることぐらいは十分できようというのに、私のは、その時それを応用してやった私の翻訳小説にしても、それが一文の金にもかわらないのだ。

「そうこうするうちに、ある日突然、母親が上京してきて、彼と一緒に住み始めるのよね。昔は、子供が働いて親の面倒を見るのが、世間的にも当然、と思われていたのよね」

私自身、私という人間をそう世間なみより『あほう』とも思えないのだが、それにもかかわらず世間なみよりも数等も数十等も下の生活さえできないというのは、これはどうしたということだろう。私のやっている仕事がわるいのかな。だが、そんなことをいったって、ほかの者はどうにかやっているではないか。してみると、私にはやっぱりどこか人より抜けたところがあるのかな。

こんな思いが彼の頭にうずまいて、読んでるこちらも、一種、うらぶれたがゆえの夢心地、みたいな感じに引きずり込まれるのよね。
主人公はあせる。あせっても、どうにもならない。その彷徨のはてに、藁をもつかむ思いで、著述の仕事を得ようと、あがくわけ。

そうして、私は、ある日、ある友だちの紹介で、田端に住んでいる竹下という著述業者を訪問したことであった。私は、そこでおそるおそる例の私の売れない外国小説の翻訳の原稿を彼にしめして、それを適当な出版屋に『せわ』してくれることをたのんだものだ。(略)どうも、翻訳小説はどこの本屋でもいやがる、が、話だけはしてみよう、といった調子なのだ。(略)だが、それから一週間目に行っても、また三日おいて行っても、つぎに「きっと、」と約束された三日目をわざと五日目におくれて行っても、私のあわれな翻訳原稿は、(略)はじめて行った時に彼が立ってその上においたところの、本棚の上に、いつもおなじ形で置かれてあるのだ。(略)私はそういう訪問を十数度もくりかえしたものだ。

「古ぼけた、黄ばんでうらぶれた頁の中で、ぼろぼろになりながら、彼は焦る。そのうちに、故郷の母が、田舎に居づらくなって、上京してきていっしょに住み始める。おまけに、古い年下の友人まで、転がり込んできて、共同生活を始める。生活はますます困窮していく…というわけね」
「ふーん」
「あたしはこれを、一種の幻想小説じゃないかと思ったんだけど、新潮文庫の『子を貸し屋』の解説ページを見ると、川崎長太郎もこの短編を激ボメしているのね」

この小説位、作者が裸で一糸まとわず、貧乏に体当たりし、まともに、正面から書き上げたものは、外にない。(略)私は、随分、長い間、宇野浩二文学を愛読してきた者だが、「正真正銘の本物」にぶつかった感は「あの頃の事」と「思い草」であったような気がする。(新潮文庫・子を貸し屋 解説より)

「これを読んだときは、あー、プロの目からみても、そうなんだー、と、嬉しくなったんだけどね。」
「ふーん。で、宇野浩二の、他の作品も読んでみたの?」
「うん、そこそこ、面白かった。『蔵の中』とか、『一踊り』『子を貸し屋』なんかの短編、『苦の世界』とか。まあ、宇野浩二作品のなかの、ごく一部を読んだだけだけどね…」
「へえ」
「宇野浩二って、もともとお話を語るのがすごくうまかった人じゃないか、って、思うのよね。出世作になった『蔵の中』だって、自分の体験でなく、近松秋江のエピソードを、編集者から、聞かされて、さもホントらしく、臨場感いっぱいの小説にしあげたものらしいからね」
「そうなんだ」
「また、宇野浩二って、途中で作風が一変しているのね。病気で、長い休筆機関を経た後は、初期にくらべて、枯淡の境地、みたいな感じになって」
「ふーん」
「その頃の代表として、『思い川』と、さっき川崎長太郎も触れた、『思い草』を読んだけどね。まあ、あたしは、こういう枯れた作風よりも、初期の饒舌体みたいな作風のほうが好きだったけどね」
「ところで、この小説、まだ手に入るの?」
「残念なことに、絶版なのよね。『蔵の中』なら、講談社文芸文庫にあるけど、『あの頃の事』は入ってないし、新潮文庫の『子を貸し屋』は、いったん復刊されたけど、もう、売ってないし」
「あたしはいいけどさあ、このブログを読んでくれてる人にとっては、読めない本を紹介されてもなあ、ってのはあるんじゃないかな」
「でも、古本もネットで手に入る時代だし、そんな希少本でもないんだから、なんとかすれば、手に入れられると思うよ!」

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