「猿丸幻視行」(井沢元彦)

「猿丸大夫って知ってるだろ?(中略)奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しきー百人一首にもある。この大夫こそ僕の先祖なんだ」
(中略)「これは暗号さ。残念ながら解き方は知らない―ただ、この秘密を解く者は「神宝を得て天下を制す」という言い伝えがある」

猿丸大夫は謎の歌人である。三十六歌仙の一人に選ばれ、猿丸大夫集という歌集も存在するが、そこに入っている歌はほとんど他の歌集で“読み人知らず(作者不明)とされているものばかりである。つまり歌集自体、後世の偽作の臭いが濃く、もちろん、古今和歌集以後の勅撰集にも彼の歌は一首も入っていない。そのうえ、生没年はおろかその生きた時代さえはっきりしない。にもかかわらず、昔から歌聖とされていて、藤原定家撰の小倉百人一首にも、天智天皇、持統天皇、柿本人麻呂、山辺赤人に続き、五番目に入っている。

「さあ、第二回目だよ!今日は井沢元彦『猿丸幻視行』を紹介するよ!」
「井沢元彦って、歴史の本を書いてる人だよね?」
「そう、最近は歴史に関する本とかエッセイが多いけど、もともとは推理作家だったの。他にも、時代小説やらSFやら、いろんなものを書いているよ。」
「そういや、この人の書いた世界の宗教についての本を読んだことがあるわ。」
「キリスト教とかユダヤ教についての本かな。あれも面白いよね。あたしたち日本人が、いかに宗教の事に無関心で、わかっていなかったか、ってことが書かれてて、すごいなー、って思ったことがある。それで、どこがいいかというと、とっても文章が読みやすい所なのよね。」
「そうだね。宗教とかお堅い話を書いてても、語り口のうまさでとても面白く読めたな。」
「あたしも、井沢作品は大概読んだけど、小説にしても文章というか描写が、極限までそぎ落とされてて、余計なものがない、というか、まあ、人によっては、なさすぎる、これじゃシナリオのト書きみたいだ、という感じ方をするむきもあるんじゃないかな、って、心配になるくらい、無駄がないよね。まあ、あたしは断然この文章のほうが好きだけど。スピーディで、読んでて快感を感じるのよね。」
「猿丸幻視行は、読んだ事がないんだけど、これも歴史に関する話なの?」
「そう、それでね、すっごく面白いの、どのくらい面白いかというと、有名な、「駅のホームから落っこち事件」を起こしたくらいなの」
「何それ?」
「ネットで検索すると出てくると思うんだけど、ある男性が地下鉄のホームから転落して、その原因が、歩きながら読んでた本が余りにも面白くて、うっかり転落してしまった、と、話していた、という事件でね、その時その人が読んでた本が、まさにこの『猿丸幻視行』なんだよ。」
「へえー。」
「井沢元彦自身も、本の中で、これは、私の最高傑作である、と書いているけど、本当にそう思うわ。あとこの作品、江戸川乱歩賞を取っているんだけど、その時のライバルであった『占星術殺人事件』をさしおいて受賞しているの。どれだけ面白いか想像できるよね。」
「で、結局、宝探しの話なの?」
「そうなんだけど、その宝にいたるまでの推理というか、蘊蓄をまぶしつくしてというか、その暗号解読のプロセスが格段に面白いのよ。これは、江戸川乱歩の「二銭銅貨」とか、ポーの「黄金虫」とか、そこいらあたりの暗号小説の面白さを、和歌の世界を舞台に、それも超有名な人麻呂の歌とか万葉集とか日本霊異記とかを巻き込んで繰り広げるという、とてつもなくスケールの大きな話なのよ。」
「へえー。」
「で、この話の主人公なんだけど、現代編と過去編に別れていて、現代編の主人公が猿丸大夫の子孫で、過去編の主人公である折口信夫の意識に、ちょっとSF的な薬を使うことで憑依して、折口の推理力で猿丸大夫の謎に迫っていく、という形をとってるのね。」
「なんで、そんなややこしい設定にしたの?」
「それは、折口の推理に信憑性を持たせるために、現代編の主人公が梅原猛の「猿丸大夫=柿本人麻呂」説を読者に開陳させるためじゃないかと思うの。この梅原説というのも、すごく面白くて、その状況証拠を追っていくくだりには、ホント、ゾクゾクする。」

この著作はこれまで常識として信じられてきた“身分の低い地方官吏人麻呂”というイメージを徹底的に打ち破った。人麻呂は政府の高官的な地位にあったが、時の権力である持統天皇―藤原不比等ラインに反対したため流罪にされ水刑死させられたーというのが梅原氏の描く人麻呂像である。

「この説を採ると、いままで謎とされてきた、人麻呂をいたんで作られた和歌になぜ水に関するものを読んだのが多いのか、またなぜ人麻呂は昔から水難の神として祭られてきたのかという様々な古来からの謎に一気に答えが出るのよね。でも、人麻呂を高官と見なす説には、大きな弱点があった。それこそが、この小説の独自の解釈が活かされるところなのよ」

「梅原説をとるならば、登園、人麻呂はこれまでの通説にある六位以下の身分の低い官吏ではなく、正史にのる程度の五位以上の身分でなければおかしい。(中略)ところが、人麻呂の名は正史にない。そこで柿本サルという男に注目し、これが人麻呂と同一人物であり、ヒトがサルにされたのは刑罰による改名であると考えるー」

梅原猛の「水底の歌」からも引用してみるね。

「人麿は『日本書紀』、『続日本紀』には登場しないが、人麿とほぼ同時代に柿本猨(?-708)という人物が登場してくる。(中略)この人麿とほぼ同時期に死んだ柿本佐留という人物は一体いかなる人物なのか。(中略)ここでも、猿沢の池の伝説に人麿がつながる。(中略)そして後世、人麿も猿丸太夫と同じく水霊の呪術に関係のある神となっていることは、やはり折口学派の指摘するところである。」

「ところが、この説には重大な欠陥があった。発表当時、梅原猛と歴史学者のあいだに論争があって、この顛末が書かれてあるのね。日本書紀と続日本記に、サルの高官としての記載があるのだけれど、どちらもサルになっていて、刑罰で罪名として与えられた名前にしては、おかしすぎる、というものね。時に後者では、サルが死んだという記載に、身分の低い「死」という表現でなく、「卒」が使われている。これは、梅原説全体をゆるがす矛盾点ではないか…とね。ここからこの小説独自の推理が始まるのね。そのほか、色は匂えど散りぬるを、という、有名ないろは歌にうついても、暗号が隠されていたとか、」
「なんだか、ややこしくなってきたよ。難しい話なの?」
「全然むつかしくない。ちょっとした知的好奇心をもう極限までくすぐってくれる、大エンターテインメントなんだよ、これは。後半、宝探しの段になると、信じられないような古代の秘密は出てくるし、万葉仮名四十九文字にわたる暗号を解いていくプロセスなんか、いままで読んだどんな暗号小説よりも面白かったよ」
「ふーん」
「実はこのブログを書くために読み返してみたんだけど、やっぱりすごいと思った。完全に『ダヴィンチ・コード』を超えてるわ。これはぜひ、多くの人に読んでほしいな。」

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